ツルのひとりごと

Vol.14 部分と全体と

広辞苑で「全体」を引くと「①身体の全部。②一まとまりのもののすべて。」とあり、「部分」を引くと、「着目する全体の中を分けて考えた一つ。全体の中の1ヵ所。」とある。
ここでこの言葉を出したのは、スポーツでうまく、強くなるにも、スポーツ医・科学で真理を探究する上でも、ヒトの身体を対象とすることが中心の課題になるが、その時にこの全体と部分とが重要なテーマとなると思っているからである。

トレーニングも細分化されてきて、からだのある部分を強化するためのトレーニングとか、からだの動きのある部分の技術の精度を高めるといったことなど、細分化されたトレーニング方法が開発されている。しかし実際に競技する時は、からだ全体の動きとして能力が発揮されることになる。

研究になると、特に生理学や生化学ではよりミクロな部分でどんなことが起きていて、そこの機能をより高めることに何が関わっているかというような、ミクロのレベルでの追究が行われている。そうしたミクロの部分に入って行かなければ、未知のことを発見して新しい知見を得ることは難しくなっているから、科学者にとっては進むべき当然の方向なのであろう。

そうしたスポーツに関する取組が細分化されていくのは必然の方向ではあろうが、同時に、スポーツは人間が総体としてすることであり、ある部分の機能や働きが、その全体の動きにどうかかわっているのかにも注目する必要があるのだろう。

スポーツは人間が総体としてより良く、より幸福になるために作られた素晴らしい文化だということができる。そしてそれは一人のための幸福ではなく、人類全体の幸福につながるものでなければならないだろう。この意味では一人は部分であり、人類全体が全体といえるのだろう。この意味でも部分だけがよくなればいいのではなく、部分が全体とどうかかわっているのか、また逆に全体の動きが部分の機能にどうかかわっているのか、双方向的に考えなければいけないことなのだろう。

競技者でも研究者でも、またどんな人でも、単に自身のトレーニングや研究、あるいは自分のしていることのさまざまな場面で、いろいろな物事での部分と全体との相互関係について気配りをして行動をすることが、人間のさらなる発展にとって重要なのではないかと思っている。

木を見て森を見ずという格言があるが、森だけを見て木に目を向けないのも、また問題であろう。

(このコラムは、平成27年1月に発行したYMFSスポーツチャレンジ助成会報誌Do the Challenge Vol.12に掲載された内容を転載したものです。)

プロフィール
浅見 俊雄(あさみ としお)

埼玉県出身。東京大学卒業。東京大学名誉教授・日本体育大学名誉教授。元国立スポーツ科学センター(JISS)センター長、日本サッカー協会顧問、アジアサッカー連盟 規律委員会・審判委員会 副委員長など。元YMFS理事・審査委員長・調査研究担当理事