ツルのひとりごと

Vol.05 リスペクト 大切に思うこと

日本サッカー協会は2008年から「リスペクト・プロジェクト」を推進している。これはイングランドで始められ、ヨーロッパで広く行われているキャンペーンを導入したものである。イングランドでは、競技者と審判員の間、あるいはサポーターをめぐるいざこざが頻発したことから、お互いにリスペクトし合おうということで始まったものだと聞いている。

しかし日本では、こうしたネガティブなことへの対処としてだけではなく、もっと積極的な意味でリスペクトという考え方を広めていこうとしているものだ。この「リスペクト」を日本語でどう表現するかという相談を受けた時に、私は直訳の「尊敬する」「尊重する」では固すぎるので「大切に思う ではどうだろうかと提案し、それが採用されて、「リスペクト 大切に思うこと」と使われている。

リスペクトする対象はサッカーを取り巻くすべての事柄である。自分自身、味方と相手の競技者、指導者、審判、役員、ジャーナリスト、家族、サポーターなどの人々であり、ボール、ユニフォームなどの用具、ピッチ、ゴール、観客席などの競技施設、そして何よりも競技規則やサッカーそのものである。こうしたサッカーを成り立たせている有形、無形のものがあるからこそ、サッカーをすること、楽しむことができるのだから、それらを「大切に思う」のは当然のことといえるだろう。

同じような考え方として「フェアプレー」がある。国際サッカー連盟はかなり以前から「フェアプレーキャンペーン」を展開している。試合前にピッチに入場する両チームを先導して「フェアプレーフラッグ」が入場してくる光景は、国際試合ではおなじみのものである。

試合前にいい試合をしようと握手をし、また試合後にお互いの健闘をたたえて握手し合うのも、フェアプレーの表現として行われている。試合中にけがで倒れた選手が出れば、ボールを外に蹴り出し、再開のときは相手にボールを返すというのもフェアプレーの表現とされている。しかし本当に痛くて立てなかったときはそうするのが望ましいが、大したけがではないのに立ち上がらず、プレー再開の後すぐにピッチに戻って走り回るのを見ると、それがフェアプレーかと思ってしまう。これではサッカーをリスペクトしているとは思えないのである。多少痛くても立ち上がってプレーを続けるのがフェアプレーというものだ。

フェアプレーは形式的な行為ではない。スポーツを取り巻くすべてのものを大切に思う心、リスペクトする心があって、そこから発した行為が真のフェアプレーといえるのであろう。

スポーツだけでなく、人間が共に生きていく社会の中では、自分と周りのものの全てを「大切に思う」心を持って行動することが、それこそ大切なのであろう。

(このコラムは、平成24年5月に発行したYMFSスポーツチャレンジ助成会報誌Do the Challenge Vol.3に掲載された内容を転載したものです。)

プロフィール
浅見 俊雄(あさみ としお)

埼玉県出身。東京大学卒業。東京大学名誉教授・日本体育大学名誉教授。元国立スポーツ科学センター(JISS)センター長、日本サッカー協会顧問、アジアサッカー連盟 規律委員会・審判委員会 副委員長など。元YMFS理事・審査委員長・調査研究担当理事