ツルのひとりごと

Vol.02 「蛙の子は蛙」か「鳶が鷹を生む」か

タイトルにあげたことわざを広辞苑で見ると、前者は「何事も子は親に似るものだ、凡人の子は凡人である、などの意」とある。「瓜の蔓に茄子はならぬ」も同じようの意味だし、英語では“like father, like son”(この親にしてこの子あり)というようだ。後者は「平凡な親がすぐれた子どもを生むことのたとえ」とあり、親子ともすぐれているときは「親子鷹」ということになる。

生物学的にいえば、前者は種や形態、機能、特徴は親から子へと遺伝子によって伝えられていくことを表現したもので、自然界で起こる当たり前のことをいっていることわざだといってよい。しかし、蛙の子は蛙は当たり前でも、それが凡人の子は凡人という意味だといわれると、それはちょっと違うだろうといいたくもなる。後者のように鳶の子が鷹になることは実際にはありえないが、人が形態や能力、性向などで親よりすぐれた個体に成長することはよくあることで、それを鳶と鷹にたとえたことわざなのだろう。

この二つのことわざは、別の表現をすれば、両親から受け継いだ遺伝子に基づく素質と、受胎後の生育していく環境との両方の要因によって、蛙の子が蛙のままで終わることもあるし、鳶の子が鷹にも、あるいは鷹の子が鳶にもなることをいっているということが出来る。

ここではスポーツの世界での遺伝と環境とのかかわりについて、私の考えを書いてみたい。スポーツで優秀な選手になれるかどうかは、遺伝と生後の環境が関わっていることはもちろんのことである。たとえば、パワー的スポーツに向いているか、スタミナ的スポーツに向いているかは、筋肉に速筋線維(速い収縮が出来るが疲れやすい)が多いか遅筋線維(速い収縮は出来ないが疲れにくい)が多いかに依存していて、しかもどちらが多いかは遺伝的要因によるとされている。従って陸上競技の100mやマラソンで、世界のトップクラスの選手になれるのは、遺伝的素因にめぐまれていることが必要条件とはなるだろうが、そうであってもその素質を充分に伸ばす環境に恵まれなければ世界のトップレベルにはなれないだろう。

しかし、速筋と遅筋の割合がどうであれ、練習や生活の環境がよければ、誰でも短距離でも長距離でもより速く走れるようになることは間違いない。男性の場合、100メートルを10秒台で走ることは無理としても、質の高い練習をすればほとんどの人が12秒台では走れるようになれると私は思っている。

少し古い話になるが、1万人程度の群馬県の嬬恋村から、1988年のカルガリーオリンピックにメダリストを含む3人のスピードスケートの代表選手が出たことがあった。同年代の男性は数百人もいなかった中からである。次のアルベールビルオリンピックに出た1人を加えて4人とも黒岩姓だったから、どこかで血がつながっていて遺伝子に共通のものがあったのかもしれないが、入沢さんというすぐれた指導者がいたことが大きく関係していたことは事実である。入沢さんが転任してからは、トリノの1人だけである。

一学年一クラスしかないような中学校から、続けて中学の日本一になるような走り高跳びの女子選手が出たこともあった。これも女性の指導者がいて練習環境が良かったからであろう。いずれも素質よりも環境が重要と考える根拠になる例である。

最近遺伝子の研究が急速に進展する中で、スポーツの素質を遺伝子レベルで見極めようという研究も行われているが、結果はまちまちで、さらに研究が進んでもこの遺伝子がスポーツの能力を決めるといった単純な結果にはならないだろうと私は思っている。

素質に違いがあることは事実としても、ほとんど全部といっていいほどの多くの人が、その後の環境次第でかなりのレベルの選手になれるということも、そう間違いのないことだと私は思っている。その中で指導者の力が大きいのは当然のことだが、指導者のいうままに練習するのではなく、本人が自分の意志で練習に取り組み、堅い信念で困難に打ち勝っていくという姿勢を持つことが、成功にとって最も重要な要因なのであろう。

このことはスポーツだけでなく、人のさまざまな行為についても同じようにいえることである。そういう姿勢を持てるかどうかにも遺伝的要因が関わっているのかもしれないが、これも成長する過程での環境によって大きく変りうるものだと思っている。蛙の子は蛙とあきらめてしまうよりも、鳶でも鷹になれると希望を持ったほうが、何ごとにも前向きに積極的に取り組めるというものであろう。

(このコラムは、平成20年5月に発行したYMFS通信Do the Challenge Vol.6に掲載された内容を転載したものです。)

プロフィール
浅見 俊雄(あさみ としお)

埼玉県出身。東京大学卒業。東京大学名誉教授・日本体育大学名誉教授。元国立スポーツ科学センター(JISS)センター長、日本サッカー協会顧問、アジアサッカー連盟 規律委員会・審判委員会 副委員長など。元YMFS理事・審査委員長・調査研究担当理事