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【能瀬さやかの足跡】われわれが女性アスリートについて知っておくべきとても大切なこと 産婦人科医 能瀬さやかの挑戦

【能瀬さやかの足跡】われわれが女性アスリートについて知っておくべきとても大切なこと 産婦人科医 能瀬さやかの挑戦

大いなる発見、看過できない数字が次々と

【能瀬さやかの足跡】われわれが女性アスリートについて知っておくべきとても大切なこと 産婦人科医 能瀬さやかの挑戦

2012年の2月だった。当時34歳の能瀬さやかは、国立スポーツ科学センター(JISS)が公募した内科医の仕事に就く。任期は5年、主な仕事の内容はセンターを訪れるトップアスリートたちのメディカルケアだった。
自分の専門とはやや異なるし、JISSという組織がいったいどういう場所なのかも具体的にはほとんどわかってはいなかった。が、この仕事に就くことは能瀬の抱えていた一つの問題、スポーツ選手と関わる時間と機会が圧倒的に足りないこと、を解決してくれるものだった。東京大学の医局を辞し、あえてまだ見ぬ世界へと一歩を踏み出した。

熱意を持って踏み出す一歩は、大体いつも正しい一歩となる。JISSへの転身は産婦人科医としての能瀬さやかにとって、まさに彼女が求めていた世界との結節点だった。JISSでの仕事を始めてほどなく、能瀬は日本のトップアスリートとされる女性たちの多くが、女性特有の月経の仕組みとその対処法をほとんど理解していないことに驚かされる。

「初めて診たオリンピアンの女性は、五輪に二度出場し、二度とも月経が重なってしまって本来のパフォーマンスを発揮できなかった、と語りました。このレベルにあるアスリートでさえ、低用量ピルを用いて月経をずらすことすら知らないのかと、かなりショックを覚えましたね」

当時、すでに外国では低用量ピルを用いることは当たり前のことで、アスリートという特別な世界の話ではなく、月経に伴う月経前後の様々な症状をコントロールする一般人にも普通に用いられる処方だった。
しかし日本では依然として「ピルを飲むと太る」という誤った認識の指導者やトップ選手が多かった。あるいは仮にアスリートが医師の元を訪れたくとも、まずコーチの許可を得なければならなかったりもした。

「月経と試合のスケジュールが重ならないようとにかく祈る、とか、甘いものをたくさん食べて月経が来るのを早める、とか。そんな「都市伝説」レベルのエピソードが山のようにありましたよ」

月経の周期を記録するにも、どの時点からどの時点までを計算するのか、そんなことすらわかっていないアスリートも、若手、ベテランにかかわらず大勢いた。月経が来なくなって一人前、そんなとんでもないことを平気で口にする指導者までいた。
見えている氷山の一角がこれなら、見えていない部分はどのくらいの大きさなのだろう?能瀬は診療とメディカルチェックの傍ら、時間の許す限りカルテ室にこもって700名分の女性アスリートたちのカルテを産婦人科医の視点で詳細に調べ、数値化する。
この施設を訪れる女性アスリートの約4割が無月経や月経不順を抱えており、23歳で一度も月経が来ていない選手もいる。看過できない数字が次々に現れてきた。

利用可能なエネルギー不足から生じる無月経、あるいは月経不順は、単に月経だけの問題にとどまらない。そこには将来の不妊につながる可能性もあるし、骨粗鬆症の問題も引き起こす。
人間の骨量が最も増えるとされる10代に骨粗鬆症を発症してしまうと、その人間は疲労骨折を含めた様々な厄介ごとと一生涯共に生きてゆかねばならなくなる。骨は非可逆的なパーツであり、大人になってから骨の中を同年齢の女性の平均値まで強くすることはできないのだ。

身体を軽くすればするほど記録が伸びる、そんな指導法でトレーニングに取り組む陸上長距離系のランナーには骨粗鬆症の選手が多かった。
「食事を制限して体重を減らせば、たしかにある程度まではタイムはよくなるでしょう。でも結局のところ、その選手はエネルギー不足によりパフォーマンスに影響が出たり、疲労骨折等の怪我に悩まされ続け、そこで成長はストップしてしまう選手もいます」
能瀬がJISSのカルテ室から陽の光の下に引きずり出した数字は、どう好意的に見ても、ただちに手をつけなければならない現実を表していた。

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