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【対談】伊藤裕子 × 鈴木孝幸

【対談】伊藤裕子 × 鈴木孝幸

新しい挑戦、競技としての障害者スポーツ

伊藤裕子

YMFS日本一を目指したい、いきなりそう言われて伊藤さんの方も色々と戸惑ったのではないですか?

伊藤日本一を目指す!ですからね。お恥ずかしい話ですけど、私自身はそれまで、競技としての障害者スポーツには全く興味がなかったんです。パラリンピックも見ていなかったし、え?日本国内にもそんな大きな大会があるの?ってレベルでした。ですから、私は私で一から勉強。大会へのエントリー方法から、障害のレベルによるカテゴリー分けまで、学ばなければいけないことは山のようにありました。まあ私もまだ若かったですし、新しい挑戦が面白くもありました。

YMFS競技としての水泳を教えるとなると、指導方法も変わってきますよね?

伊藤泳ぎの指導という部分に関しては、ぺんぎん村を始める前、大阪にいた時も、岐阜にいた頃も、私は水泳のインストラクターだったのでさほど難しくはありませんでしたね。それぞれの子供をよーく観察して、何が足りないかを見つけ、どういうトレーニングをすればいいのかを見つけるだけですから。もちろん自分なりに勉強はしましたけれど。

YMFS以前伊藤さんに話を伺った時、異なった障害を持つ子供たちを一緒にトレーニングさせると、面白い効果が現れる、ということをおっしゃっていました。

伊藤そうなんです。例えばタカちゃんのような身体障害の子供と知的障害の子供を一緒にトレーニングさせるじゃないですか。すると、身体障害の子供はしんどくなるとサボろうとするんですが、知的障害の子供は最後まで力を抜かないんです。それが結果的に身体障害の子供にとっては刺激になってもっと頑張れるんです。

鈴木確かに、後ろから泳いできて、こちらの足に相手の手が届きそうなところまでひたすら追いかけてくるんですよね。だからこっちも必死で泳ぐしかない。あとは、ちょっと力抜いて練習してると、日本一になりたいんだよね、日本一になりたいんだよね?って、しつこいぐらい聞いてこられましたね、笑。

伊藤あと私が考えたのは、もし頂点を目指すならば一人では無理だということでした。ともに競い合い、励まし合う仲間がいないと絶対にどこかで行き詰まってしまいますから。なので、私は彼も含めて全部で8人、この子はいけそうだなっていう子供に声をかけて選手クラスに入れました。その判断は正しかったと思います。結果的に8人全員がジャパンパラ競技大会に出場するレベルまで辿り着きましたから。

YMFS当然練習は厳しいものになりますよね。

伊藤どうだったんでしょうね?キツかった?笑。

鈴木孝幸

鈴木あの時は、最初は週に2日の練習がいつの間にか4日に増えて、夏休みも1日に2回練習とかになって。嫌な勉強から逃げるためにぺんぎん村に戻ってきて、こんなはずじゃなかったんだけど、でも勉強するよりはいいかなって、笑。

YMFSと言っていた若者が東京大会での金メダルも含め、4つの大会でなんと10個のメダルを獲得するようなアスリートに成長したわけですよね。本当にすごいことだと思います。

伊藤裕子と鈴木孝幸

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