スポーツチャレンジ賞

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第14回 功労賞 伊藤 裕子

第14回 功労賞 伊藤 裕子

障害がある子ども向けスイミングスクールでだれもが楽しく学べる機会を提供。水中だからこそ「できる」体験を通し、「あきらめない」気持ちを育み、心のバリアフリー化を目指す

「これが、僕の手だよ」。障害のある子どもに水泳を教える活動を始めて1年経とうとする頃だった。先天性四肢形成不全症の6歳の男の子が颯爽とスケートボードに乗ってやってきた。集まって来た子どもたちに囲まれ「なぜ手がないの?」と聞かれたその子は、欠損した右手を差し出し「これが僕の手だよ」と続けたのだった。すべてを受け入れている少年の振る舞いに、「どんな障害があろうともすべてを全身で受け止めよう」と心が決まった瞬間だったとぺんぎん村水泳教室代表の伊藤 裕子さんは振り返る。先の東京パラリンピックで、出場した5種目すべてでメダルを獲得した競泳の鈴木 孝幸選手が教室の門戸を叩いた時のことだ。

伊藤さんが本格的に水泳を始めたのは高校生の時。「スポーツが大好きでしたが、低血圧症だったので横になったままできる競技はないか(笑)」と選んだそうだ。岐阜は長良川の近くで育ち、小学生の頃から泳ぎは得意だった。

元々私立の幼稚園教諭だった伊藤さんは、系列にスイミングスクールができることになり、コーチ募集を知って手を挙げ、ベビースイミングなどの水泳指導法を学んでスイミングコーチに転身したのだった。その後、大阪、岐阜、静岡と移り住むも、スイミングコーチは続けていた。浜松のスイミングスクールに勤めていたある日、車いすに乗る一人の脳性まひの男の子が入会したいとやって来たのだ。会った瞬間に経験値から「この子、水の中なら立てるな。泳ぎは?どうやって水の中を楽しむんだろう、教えてみたいと興味を持った」と伊藤さん。それまでにも「リゾートホテルのプールで優雅に泳ぎたい」という80歳を超えるご婦人には、息継ぎ姿が美しいクロールの泳ぎ方を教えたり、生徒の個性や目標に沿った指導を行っていた。だから障害があっても、水に潜ったらちゃんと顔を上げられ、安全確保ができるとわかり、その子を受け入れようとしたのだ。しかし、会社の方針で入会を断らざるを得なかった。ただ断るだけでは気が済まない伊藤さんは、片っ端から他の水泳教室に問い合わせたが、受け入れてくれるところは皆無だった。そこで「誰もやらないなら、私がやる!!」と、近所の市民プールで1対1での指導をスタート。すると次々と口コミで広がり、障害のある子どもが続々と集まって来たのだ。

そして1992年、障害のある子どもたち向けぺんぎん村水泳教室を開設。以来、「可能性をあきらめない」を信念に、さまざまな障害のある生徒に対し、個性に合わせた指導を展開。水中だからこそ「できる」体験を通して、「あきらめない」気持ちを、「やってみよう」という意欲を、育んでいる。例えば二分脊椎症で足の感覚がない子どもでも、水の中なら浮力を活かして立てるし、目で見て水中で足を自由に動かせるようになると、筋肉がその動きを覚え、陸上でも水中で覚えた動きをできるようになり、装具をつけて歩けるようになるケースもあると言う。

現在、浜松市内3カ所の市民プールでレーンを貸し切って活動中。地元のプールなら生徒たちが通いやすいという一方で、地域の皆さんに障害のある“この子がここにいます”と知ってもらいたい気持ちもあるからだ。

「障害のある人のことを知らな過ぎるから時に心ない言葉を投げかけられたり、不自由な思いをする。互いを知り合うことで、だれもが一緒に活動し、尊重し合って支え合い、住みやすい社会をつくりたい」と伊藤さん。

30年に及ぶ活動の中では、市民プールに寄せられる苦情や障害のある児童への学校側の理解不足など、さまざまな障壁や困難にぶつかり克服して来たが、「できなかったことができるようになった時の子どもたちの表情と言ったら! またそんな子どもの姿を見て涙ぐむ保護者の様子、そうしたものが、私を突き動かす力でしょうか。生徒たちと共に歩むことで、自分一人だったら決して経験できなかったであろう何十倍もの人生を味わうことができました。どこの市民プールでも障害のある人が気軽に使え、ぺんぎん村水泳教室が不要になる日まで、まだまだ全力で指導しますよ」と力強く続けた。

第14回 功労賞 伊藤 裕子

伊藤 裕子(1962年生・岐阜県出身)スイミングコーチ

1992年市民プールの一角で障害のある子どもたちの水泳指導を開始。陸上ではヨチヨチでも、水中では飛ぶように泳ぐペンギンの特性から、「どんな障害があっても可能性をあきらめず、 伸び伸びと挑戦してほしい」との願いを込めて「ぺんぎん村水泳教室」とネーミング。また市民プールの設備では、どうしても受け入れが難しい障害の重い人もいることから、2016年には、障害のある人もない人も利用できるスポーツ施設「メディカルフィットネスクラブLEN」を開設。これまでに500人以上を指導し、その中には金メダルに輝いたパラリンピアンも。近年では、水中運動がリハビリに適し効果を発揮していることから、メディカルスポーツとしても注目されている。