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【対談】伊藤裕子 × 鈴木孝幸

【対談】伊藤裕子 × 鈴木孝幸

「タカユキが日本一を目指したいんだと言っている」

伊藤裕子

伊藤私がぺんぎん村を始めたきっかけになったのは一人の脳性麻痺の少年との出会いだったのですが、その数ヶ月後、鈴木孝幸という少年に出会ったことで自分の姿勢が明確になったんです。それまでの自分は、どこかで障害を持った子供たちをかわいそうに思っていて、教えてあげている、という感覚でしたが、いやそうではないんだ、教えてもらっているのは自分の方なのだと理解できたんです。

鈴木子供時代のことで覚えているのは、むしろ、ぺんぎん村をやめて他のスイミングに行ってからのことですかね。

伊藤私のスクールは家からちょっと遠くて不便だということで、もっと近くのスイミングに移ったんだよね。一緒に新しいスクールを探して紹介したことは覚えています。

鈴木新しいスクールでは、他の健常者の子供たちからジロジロ見られることが多かった。僕も結構やんちゃでしたから、こちらもその度ギロって睨み返して。
そうやってるうちに周りには誰もいなくなっちゃいました。そんな状況は面白くないから、結局スクールもやめてしまって。泳ぐこと自体は好きだったので、友達とはよく学校のプールとかで泳いではいましたけどね。

伊藤そんなことがあったなんて、今知りました。水泳をやめたことは聞いていましたけど、まあ当初の目的は学校のプールでちゃんと泳げるようになりたいということでしたから、その目標を達成したからやめたんだろうな、というくらいにしか思っていませんでしたね。

YMFSその鈴木さんが高校1年生の時にまたぺんぎん村に戻ってきたんですよね?

鈴木孝幸

鈴木高校は浜松市内にある私立高校の進学コースを選択したのですが、そこでの勉強がもう本当に大変だったんですよ。もともと勉強はあまり好きじゃなかったので、その日々の苦しみから逃れるために水泳に逃げ込んだ、って感じです、笑。

伊藤私はタカちゃんのおばあさまから、タカユキが日本一を目指したいんだと言っている、そんなふうに聞いていましたけど、笑。もともと彼は音楽が好きで、中学時代からホルンをやっていて。でも進んだ高校の吹奏楽部はそれほどレベルが高くなくて、どんなに彼一人が頑張っても全国は目指せない。じゃあ何であれば頂点を目指せるだろうか、と考えたときに、水泳を選ぼう、となったと。

伊藤裕子と鈴木孝幸

鈴木僕の記憶の中ではその辺の認識も曖昧なんですよね。でも、ぺんぎん村に戻ってきたら、昔の仲間も数人いて、そこに新しい仲間も加わって、そういう環境の中でトレーニングするのはとても楽しかったですね。

YMFS水泳をやめてしばらく経っていて、そのブランクみたいなものは感じなかったのですか?

鈴木ブランクと言っても、もともと遊びとしての水泳しかしていませんでしたから。クロールはS字型に水を掻く、そんな基礎的なことから教えてもらわなきゃいけないレベルでした。

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