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【対談】伊藤裕子 × 鈴木孝幸

【対談】伊藤裕子 × 鈴木孝幸

30年前に思い描いていた社会、そして次の変化へ。

YMFS逆に、まだまだ日本社会の中でここは変わらないな、変わってほしいなあ、という部分はありますか?

鈴木すごく時間はかかることだと思いますが、もう少し心のバリアフリーが進めばなと感じることはありますね。

YMFS心のバリアフリーですか?

鈴木例えばエレベーターがあるじゃないですか。車椅子の人がそのエレベーターを使おうとしたとき、その前に健常者の人たちが並んでいると。そういう時、もちろん健常者の人がエレベーターを使ってはいけない、というわけではないんですが、車椅子の人にはエレベーター以外の移動手段はなく、健常者の人には階段もあればエスカレーターもあるわけです。共生社会の実現に向けては、それぞれのニーズや置かれた状況をお互いが理解することが大切ではないのかなと思うんです。もちろん少しずつ良くはなってきていると思いますけど。

鈴木孝幸

伊藤車椅子の人だけではないですよね。例えばベビーカーを押したお母さんが後ろにいたとしたら、先にどうぞ、と言ってあげられるかどうか。お年寄り、白杖をもった人、目の前の人に対して、ちょっと声をかけてあげる優しさを持っているかどうか、だと思うんです。自分の住んでいるところは、そういう街になればいいなと思います。

YMFS長くなりましたが、では最後に、それぞれがお互いの今後に期待することを教えていただければと思います。

伊藤今ようやく、私が30年前に思い描いていた社会が自分の周りに生まれつつあるんです。その30年をかけて成し遂げてきた変化、そのど真ん中をタカちゃんは頑張って上ってきた子なんです。彼は世界ともつながっていますから、やはり日本のトップの人間として次の変化を起こしてもらいたいと願っています。そんな彼の姿を私たちが見て、「タカちゃんがあそこであんなに頑張ってるんだから!」と、それぞれの持ち場で日々努力していけるといいですよね。まあ私はもうそろそろ引退かな、笑。

鈴木いえいえ、伊藤さんは最近は水泳だけではなくスポーツ施設も作られてますよね。なのでそこは引き続きやっていただいて、笑。
僕にとってのぺんぎん村がそうであったように、それぞれの地域に障害者がスポーツに親しむ施設があるというのは、パラスポーツの発展においては欠かせない部分なんですよね。競技者の人口が増えれば増えるほど、ピラミッドの底辺は広がりますし、底辺が広がればピラミッドはさらに大きくなりますから。伊藤さんのような熱心に活動してくれる方々がいることは非常に大事なことだと思います。あるいは、もし引退されるなら、ちゃんと後継者の方を育ててからお願いしたいなと、笑。

伊藤裕子と鈴木孝幸

<了>

写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo

鈴木孝幸

鈴木孝幸

TAKAYUKI SUZUKI

1987年静岡県生まれ。障がいは先天性四肢欠損。6歳から水泳を始め、2004年アテネ大会から2022年東京大会まで5大会連続でパラリンピック水泳競技に出場。東京大会までに金1、銀2、銅2と5個のメダルを獲得。2008年、2012年の北京・ロンドン大会では競泳チームの主将を務めた。
東京大会では招致活動アンバサダーとして大会招致にも貢献、競技でも競泳チームの主将を務め、100m自由形で金メダル、50m自由形と200m自由形で銀メダル、50m平泳ぎと150m個人メドレーで銅メダルを獲得。またIPCアスリート委員にも選出され2024年パリ大会まで世界のアスリート代表としてパラスポーツ発展の任務を務める。
2009年、ゴールドウインに入社。ニューカッスルにあるノーサンブリア大学の博士課程でスポーツマネジメントを学ぶ学生でもある。