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【コラム】伊藤裕子〜ぺんぎん村とイルカの話

【コラム】伊藤裕子〜ぺんぎん村とイルカの話
【コラム】伊藤裕子〜ぺんぎん村とイルカの話

写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo

今年度のヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ賞功労賞を受賞した伊藤裕子さんは、今から30年前、「ぺんぎん村」という障害を持つ子供たちのためのスイミングスクールを浜松市内の市民プールでスタートした。
きっかけは車椅子に乗った一人の脳性麻痺の少年だった。
当時彼女が働いていたスイミングスクールに、ある日その少年が母親と共に現れた。入会できるかどうかと問う二人に、伊藤さんは特に問題はないだろうと思い、「はい、じゃあ受付していってくださいね」と二つ返事で答えた。
しかしながら、スイミングスクールの運営会社は障害を持つ子供のスクール参加に難色を示した。伊藤さんは会社を説得しようと何度も試みたが、結局彼らが少年を受け入れることはなかった。

こういうことが起きた場合、この世界には基本的に2つのパターンのリアクションしかない。

  1. それが間違っていることはわかっているけれど、まあ自分にはどうしようもないことだよな、と諦める。
  2. いやいや、それはぜったいに違うでしょ、じゃあ私がなんとかしますよ、と諦めない。
【コラム】伊藤裕子〜ぺんぎん村とイルカの話

伊藤さんは2のほうを選択し、そこから彼女の新しい人生が始まった。その後彼女の人生に起こったさまざまな出来事は、FOCUSのほうを読んでいただくとして。

FOCUSの中に書ききれなかった、伊藤さんとぺんぎん村についての素敵なエピソードをひとつ書き足しておこうと思う。

スクールをスタートして2年目だったか3年目だったか、彼女はイルカツアーを企画し、スクールの生徒たちを引き連れて紀伊半島の和歌山県東牟婁郡太地町にあるイルカのレクリエーション施設を訪れた。そこは子供たちも海の中に入り、水の中で直接イルカと触れ合うことができるという場所だった。同じようなアトラクションを売りにしている施設は他にもいくつかあったが、障害を持った子供でも大丈夫ですよ、と受け入れてくれたのはそこしかなかった。

【コラム】伊藤裕子〜ぺんぎん村とイルカの話

浜松から電車とバスを乗り継ぎ、子供たちをなんとか太地町まで連れてゆく、イルカツアーを始めた1年目は、ほんとうに大変なことの連続だった。駅で切符を買うにも、商店で土産物を買うにも、彼女の率いるぺんぎん村の子供たちがいるところには、いつも長い列ができてしまう。(当たり前の話だが、脳性麻痺の子供はなにをするにしても普通より余計に時間がかかってしまうから)
目的地の小さな駅に到着しても、そこにはエレベーターもエスカレーターもスロープさえもなく、車椅子に乗った子供を一人、また一人と階段で運ぶしかなかった。そしてそうやって四苦八苦しながら進んでゆく伊藤さんたち一行に、あからさまに迷惑そうな視線を投げかけてくる人もいた。

【コラム】伊藤裕子〜ぺんぎん村とイルカの話

でも、もちろんこの世界はそんな人ばかりでできているわけではない。

2年目、3年目、ぺんぎん村の面々はあいかわらずヨチヨチと進んでいたが、受け入れる側の人々の行動が少しずつ変わっていった。
到着した駅のホームにはスロープが設置され、いつも必ず立ち寄るお土産物屋では、ぺんぎん村の子供たち専用のレジが設けられた。最初は彼らのことに気づいてくれなかった人々が、少しずつ気づいてくれるようになり、そして自発的にアクションを起こしてくれるようになった。

伊藤さんとのインタビューの中で、すごく印象に残っている言葉がある。

一歩先を行くのは確かに大変なんだけれど、後ろを振り返ったとき、そこにちゃんと自分が残してきた道が見えるのは、本当に素敵なことなんです

イルカツアーの話を聞いていると、伊藤さんの言う「振り返った時に見える道」が僕にもほんの少し見えたような気がした。

イルカツアーの話をもう少し続けよう。

【コラム】伊藤裕子〜ぺんぎん村とイルカの話

なんとかたどり着いた太地町の海で、子供たちはイルカとの触れ合いを楽しみ、そしてイルカたちもまた彼らとの交流を楽しんだようだった。太陽は西に傾き始め、1日のアクティビティが終わり、海からあがった子供たちは陸に向かうボートに乗り込む。するとそのとき、さっきまで子供たちと戯れていた数頭のイルカが一斉に海面高くジャンプしてくれた。
伊藤さんは、きっと飼育係の誰かが子供たちのためにそういうサインをイルカたちに送ってくれたのだと思った。こういうのってあるよね、と。
しかし施設の園長さんはびっくりした表情で、伊藤さんにむかってこう伝えた。
いやー、長い間この仕事をやってきましたけど、イルカたちがあんなことをやるところ、初めて見ましたよ!

近藤 篤

写真・文

近藤篤

ATSUSHI KONDO

1963年1月31日愛媛県今治市生まれ。上智大学外国語学部スペイン語科卒業。大学卒業後南米に渡りサッカーを中心としたスポーツ写真を撮り始める。現在、Numberなど主にスポーツ誌で活躍。写真だけでなく、独特の視点と軽妙な文体によるエッセイ、コラムにも定評がある。スポーツだけでなく芸術・文化全般に造詣が深い。著書に、フォトブック『ボールピープル』(文藝春秋)、フォトブック『木曜日のボール』、写真集『ボールの周辺』、新書『サッカーという名の神様』(いずれもNHK出版)がある。