スポーツチャレンジ賞

スポーツ界の「縁の下の力持ち」を称える表彰制度
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【対談】伊藤裕子 × 鈴木孝幸

 【対談】伊藤裕子×鈴木孝幸

今からちょうど30年前の春、伊藤裕子さんは障害を持つ子供たちのためのスイミングスクール「ぺんぎん村」を静岡県浜名郡可美村(現浜松市南区)でスタートした。スクール生のほとんどは脳性麻痺のハンディキャップを持つ子供たちだったが、開校から数ヶ月、四肢欠損の男の子が家族に連れられてぺんぎん村を訪れた。名前は鈴木孝幸、タカちゃんと呼ばれたその男の子は約10年の時を経てパラリンピアンとなり、2004年のアテネ大会以降、2021年の東京大会における金メダルを含め数々のタイトルを獲得する世界的スイマーとなった。

YMFSアテネ大会以降、パラリンピアンとしていくつものメダルを獲得してきた鈴木さんですが、実は伊藤さんが30年前に始めたぺんぎん村の第1期生なんですよね。

鈴木そうなんです。最初は家の人の勧めでぺんぎん村に通い始めました。とはいえ、僕自身はその頃の記憶ってあまりないんです。

伊藤私の方はちゃんと覚えていますよ。あれは可美村(現静岡県浜松市南区)の市民プールでしたよね。おばあさまに連れられて、駐車場からスケートボードのような板に乗ってガラガラガラってやってきて。6歳なのにしっかりと自分を持っていて、好きなことは好き、嫌いなことは嫌いとはっきり言う子供でした。そして本当に元気が良くて、いつも水の中に潜っては、他の子供たちの足を引っ張って遊んでいました。

鈴木確かにそういうイタズラはやっていたかもしれません。

YMFS今回の伊藤さんの受賞、鈴木さんはどんなご感想をお持ちですか?

鈴木まずは、おめでとうございます!ですね。

伊藤ありがとうございます、笑。

鈴木30年前、まだ障害者のためのスポーツ施設そのものがほとんどなかった時代に、伊藤さんがぺんぎん村という活動を始めてくれたことで、たくさんの子供たちがスポーツに親しめることができました。僕自身も、あの場所がなければこうやってアスリートとして活動している今もないでしょうし。正直、伊藤さんの功績はもっと以前から評価されるべきだっし、ああ、ようやく認められたんだなあ、と今はとても嬉しく思います。

YMFSちょっとヤマハ発動機スポーツ振興財団の表彰も遅すぎたかもしれませんね、笑。

伊藤いえいえ、そんなことはありません、笑。

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