スポーツチャレンジ賞

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【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡

【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡

タカちゃんが教えてくれたこと

誰もやらないなら私がやろう、そう腹を括って始めたぺんぎん村だが、始めた当初は心が折れそうな出来事も多かった。練習場所を確保しようにも、障害者という言葉を口にしただけで多くの市民プールの管理者は尻込みし、使用を断ってきた。あるいはその管理者をうまく説得できても、今度は同じプールを利用する一般市民のクレームが伊藤の心を疲弊させていった。

【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡

市役所の市民課から連絡が入り、役所に呼び出される。行ってみると、実はお宅のスクールのことで市民から苦情が来ているので事情を説明してほしい、と告げられる。どういう苦情なのかと尋ねてみると、スクールの子供が大きな声をあげてうるさい、プールの中で口に含んだ水を吐き出している、ウチの子供がスクールの子供から「ば~か」と言われた、あるいは、なんだか気持ち悪い…。そんなことが幾度となくあった。辛くて、悲しくて、涙が止まらなかった。もうやめてしまおうか、そう真剣に考えたことは一度や二度ではない。しかし、伊藤はやめなかった。

自分はなぜぺんぎん村を続けるのか、その意義と決意を改めて確信した出来事がある。

スクールが始まって半年ほど過ぎたある日、6歳の少年が祖母に付き添われぺんぎん村にやってきた。彼の名前は鈴木孝幸、周りからはタカちゃんと呼ばれていた。タカちゃんは先天性の四肢欠損で右腕は肘から先がなく、左手は指が2本と短い指が一本、右足は根元付近から、左足は膝から下がなかった。

【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡

スイミングスクールでは誰もが水着一枚になる。練習場は市民プール、レッスン中はさまざまな人の視線に晒される。この子は大丈夫だろうか?伊藤はその旨を祖母に確認したが、彼女はなんの問題もありませんと即答した。
案の定、水着姿で水に入ったタカちゃんの周りには好奇心旺盛な子どもたちが集まってきた。中にはゴーグルをつけて水中に潜り、彼がどんなふうに泳いでいるのかを観察しようとする子供もいた。あるいは、そんな少年たちとは真逆に、まるで見てはいけないものを前にしたかのように、急いでその場を立ち去る親子連れもいた。

この子は今ものすごく傷ついているんじゃないだろうか。
伊藤はこれからさらに起こりうるさまざまな事態を想像し、その時に自分はどう対応すればいいのかを必死に考えていた。何を言えばいいのか、どうすればこのかわいそうな少年を守ってあげられるのか、と。

レッスンが終わり、タカちゃんはプールサイドに上がる。伊藤の予想通り、彼は同じ年頃の少年たちに囲まれ、そしてその中の一人がいきなりこう尋ねた。なんで君は手がないの?
それは伊藤がまさに危惧していた光景だった。早く何か言ってあげなければ…。

「え?あるじゃん!これが僕の手だよ!」
短い方の腕を少年たちの前に差し出し、大きな声で即座にそう答えたのは、鈴木少年本人だった。
その瞬間、伊藤は自分が根本的な勘違いをしていたことに気づいた。目の前の少年は6歳にしてすでに自分のことを認め、堂々と生きていた。ぺんぎん村をスタートして以来、伊藤は常に子供たちに対し、教えてあげよう、与えてあげようと思ってやってきた。しかしそうではなかったのだ。与えられ、教えられているのは自分の方だった。

【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡
写真提供:伊藤裕子氏

ぺんぎん村をどうしたいのか、伊藤はもう一度腹を括り直し、以後その決意がぶれることはなかった。
そしてタカちゃんこと鈴木孝幸少年はそれから12年後の夏、アテネで開催されたパラリンピックに出場し、その後東京大会まで5大会連続でパラリンピックに出場、まさにペンギンのように泳いで金から銅までさまざまな色のメダルを手に入れることとなる。

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