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【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡

【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡

『そっか、ならもう私がやるしかないな』

【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡
写真提供:伊藤裕子氏

受け入れ先が見つからないまま、コバヤシくんとのマンツーマンレッスンは市民プールの片隅で続いた。
レッスンを初めて数週間が経ったある日の夕方、一人の女性がレッスン後の伊藤に近寄ってきてこう尋ねた。あの、できればうちの子も見ていただけないでしょうか?事情を聞くと、その女性もまた脳性麻痺の子供を持ち、水泳を習わせたくても受け入れてもらえる場所がないとのことだった。

翌週にもまた一人、そしてまた一人、1ヶ月ほどの間に、20組の親子が伊藤のレッスンを受けたいと申し込んできた。どうやらこの世界には、小林くんと同じような問題で困っている人たちが、驚くほど大勢いるようだった。
一方、伊藤の度重なる説明にもかかわらず、会社は依然として車椅子の少年の受け入れを拒み続けていた。

そっか、ならもう私がやるしかないな。ある日伊藤は腹を括り、自ら障害者を対象としたスイミングスクールを立ち上げることに決め、子供たちの母親に一つのことを相談した。私にも生活がありますから、習字の先生、あるいはピアノの先生のように、一人ひとりの子供にレッスンし、それに対する月謝をもらえませんか。まだ障害者のスポーツに関わる人間はボランティアが当たり前、お金を取るなんてとんでもない、と思われていた時代である。
母親たちは全員がこう答えてくれた。もちろんです!

こうして、ぺんぎん村の歴史はスタートした。「村」と名づけたのは、小さな規模でのんびりとやっていければ、という願いからだった。しかし一年後、二十人でスタートしたぺんぎん村の住人はすでに100人にまで膨れ上がっていた。浜松市内だけではなく、他府県からわざわざ週1回のレッスンのためにぺんぎん村まで通ってくる親子も少なからずいた。普通のスイミングスクールならうれしい悲鳴をあげるところだが、伊藤の心は複雑だった。こんなにもたくさんの子供たちが行き場を探していたのか。しかもまだその数は増え続けている。伊藤は障害を持つ子供たちを取り巻く現実に驚き、改めて障害者スポーツに対する社会の在り方を意識するようになっていった。

【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡
写真提供:伊藤裕子氏
【伊藤裕子の足跡】水の中の奇跡

◀ 20年以上続くぺんぎん村主催のイルカツアー。子供たちを引率して1泊2日で和歌山県太地町へ。障害を持つ子供たちにさまざまな体験機会を提供している。
写真提供:伊藤裕子氏

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