「山下良美っていう人間を審判にならせたかった」
その坊薗先輩、山下良美を審判の世界にひっぱりこんだ功労者は、今現在FIFA登録の国際審判員として、WEリーグや様々な国際大会の副審として活躍している。
「私は彼女の5学年上なのですが、サッカーを続けたくて大学に数年余計に在籍してしまいました、笑。ですから、1年間ではありますけど、私は彼女と同じピッチに立ってサッカーをやったことがあるんですよ」
大学時代の坊薗は山下とは対照的な選手、髪を金髪に染め、激しいプレーも厭わず、審判の判定に不服な時は猛然と食ってかかるようなタイプだった。そんな坊薗だからこそ、いつも冷静沈着で、常にピッチの隅々に視線を張り巡らせている山下は、自分以上に審判に向いているはずだった。
一緒にプレーしていて驚かされたのは、ゲームが終わったあとの試合分析の際、山下は実にさまざまな場面を克明に覚えており、あの時相手はこっちから来たから、我々はこうやってボールを奪いに行くべきだったよね、と実に具体的に話せることだった。
「ですからあのときは、とにかく誰でもいいから審判にならない?って声をかけて回っていたわけではないんです。最初からピンポイントで、山下良美っていう人間を審判にならせたかったんですよ」
坊薗は山下に才能があることを確信していた。
「私としては、ここまでの審判としての山下さんの成長には何の驚きもないですよ。むしろ、当たり前だよね、って感じです。今ああやって注目されるようになって、山下さんのことをみなさん優秀だ、優秀だって褒めるじゃないですか。私に言わせれば、彼女の才能はこんなもんじゃないですよ、こんなところで終わる審判じゃないですよ、笑」
2009年に大学を卒業した山下は、大学で事務職員をしながら、審判の道を歩み始める。審判として何か特別な目標があったわけではないが、目の前の課題をひとつひとつ解決して、より的確なジャッジをくだせるようになりたかった。元々、できないことはできるようになるまでしつこくやるタイプだ。そして、審判をやっていると好きなサッカーに関わっていられる、それが何よりも幸せだった。
「大学時代に4級の免許はとっていて、次に3級をとって。3級をとったあとしばらくして、国際審判として今も活躍されている方から2級の免許もとろうよ、と強く勧められたのです。でも私は、時間が合えば取りたいんですが、今週末は自分のチームのサッカーの試合があるので、と、笑。まだその頃は自分でプレーしている方が楽しかったっていうのもありますし、そこまでちゃんとした審判になるんだ、という覚悟もなかったような気がします」

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