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【山下良美の足跡】どこまでも淡々と

【山下良美の足跡】どこまでも淡々と 山下良美の挑戦

東京学芸大学へ進学、再びサッカーの世界へ

【山下良美の足跡】どこまでも淡々と 山下良美の挑戦
写真提供:山下良美氏

「朝練、早弁、昼練、そして放課後の練習、全く強くはないバスケットボール部でしたけど、念願の「青春」は満喫できました」
でも、と山下は付け加える。
「バスケの練習のために体育館へ向かっていると、校庭でサッカーやってる男子たちの姿が見えるんですよ。そこを通るたび、ああサッカーやりたいなあ、と思う自分がいましたね」

2004年、都立西高校を卒業した山下は東京学芸大学教育学部の初等教育教員養成課程保健体育選修へと進学する。将来は小学校の先生になって子供たちの人生にかかわるような仕事をしたい、そんなことを考えての進路選択だった。

東京学芸大への入学がきっかけで、大好きなサッカーの世界に再び戻ることにもなった。大学には女子サッカー部があり、山下はとりあえず体験入部という形で女子サッカー部の練習に参加した。高校3年間のブランクはあったが、足先はボールの感触をそれほど忘れてはいなかった。国立大学ということもあってチームはさほど強くはなかったけれど、そこに集まった選手たちは誰もが真剣にサッカーと向き合っていた。そこからは以前とは比べものにならないほどのサッカー漬けの日々だった。中盤の底、ボランチとしてプレーしていた山下は程なくチーム内でレギュラーポジションを獲得し、主力メンバーとして活躍した。

サッカー、サッカー、そしてサッカー、大学入学以来、4年間ひたすらサッカーをやりすぎたせいでバーンアウト状態に陥り、そこから復帰するために親に無理を言ってもう1年余計に大学生活を送らせてもらうことにした。小学校の先生になる夢は、いつの間にか、子供の人生に関わるなんて重大な責任は私には無理だ、という現実に姿を変えてしまっていた。

東京学芸大に入って4年目の秋、女子サッカー部での最後のシーズンが終了すると、山下にはほんとうにやることがなくなった。さてと、これからどうすればいいかな。
そんなとき、大学の5年先輩にあたる坊薗真琴という女性から声をかけられた。
「あのさ、あなた審判やってみない?」
今になって思えば、それは天からの啓示とでも形容すべき言葉だった。が、その時の山下良美には、彼女の誘いがその後の彼女の人生をどんなふうに変えることになるのか、知る由もなかった。

「体も動かせるし、サッカーにも関われるよ、絶対あなたに向いてると思うから」
あまり乗り気でない本人とは対照的に、坊薗先輩はなんだかずいぶんな熱意で、山下に審判をやらせたがった。

「なかば無理やり」連れていかれたのは、福島県で開催された高校生のサッカーフェスティバルだった。黒い審判用のウエアを借り、主審としてやるべきことを簡単に教わり、まあとりあえず時間を計っておきさえすれば大丈夫、と思って引き受けたものの、いざやってみると試合時間を計ることすら難しい作業だった。そしてその日山下が担当した3試合目、ある選手が激しいチャレンジを見せる。そのプレーに山下が笛を吹かなかったことで、ゲームが荒れた。
その審判吹かないんだから!もっといっていいんだよ!
ピッチの中、あるいは双方のベンチから乱暴な言葉と指示が飛び交った。「本当は次の試合も担当するはずだったんですが、なんだかすごく疲れてしまって、結局4試合目は他の人に代わってもらいました」

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