スポーツチャレンジ賞

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【コラム】山下良美〜まだまだこれから、という予感

【コラム】山下良美

写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo

【コラム】山下良美

毎年、ヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ賞の受賞者の取材は4月頃から始まる。
まず受賞者ご本人にお会いしてかなり長めのインタビューをさせてもらい、次にその方の職場で写真撮影を行い、その二つの作業を1本の記事にまとめる。

今年の奨励賞は、サッカーの女子プロフェッショナル審判員、山下良美さんだった。
サッカーシーズン真っ盛りの中、なんとか時間をとってもらってインタビューはできた。
大変だったのは写真撮影の方である。山下さんの現場、つまり山下さんが働いている場所はサッカーの「試合」だ。
要は、その試合会場まで行って望遠レンズを構え、22人のプレーヤーの中を駆け抜け、笛を吹いてジャッジを下す彼女のかっこいい写真を撮ればいいだけのことなのだが、これが実はけっこう困難な作業だった。なぜかというと、どの試合で誰が主審を務めるのかという情報は、試合開始2時間前まで、本人を含むわずか数人にしか知らされていないからだ。この決まり事は極めて厳格に守られていて、たとえ審判同士でも誰がどの試合を担当するのかは知らない。だから、たとえ僕がどんなに写真を撮りたくても、まずどのスタジアムへ行っていいのかすらわからない。
さてどうしたもんだろうか、と困っていたら、もうひとつ困った問題が起きた。

1度目の山下さんの取材を終えたあと、彼女に関係するビッグニュースが2つもあって、原稿の書き直し(というか書き増し)も行わねばならなかった。
ひとつは5月に発表された、カタールW杯に招聘される審判団の主審36人の一人に彼女が選ばれたというニュース。これがどのくらい凄いことかというのは、サッカーにあまり詳しくない人にはなかなか伝えにくいのだが、とにかくかなり衝撃的なニュースだった。
(そしてもし仮に本大会で主審を担当するようなことがあれば、それはもうとんでもなく凄い、ということになる。なにせ1930年に始まって今回で92年目を迎えるワールドカップの歴史で、女性が審判を担当したことは未だ一度もないのだから)
もう一つのビッグニュースはその3ヶ月後のこと。彼女は日本サッカー史上初めて、女性として日本サッカー協会とプロフェッショナルレフェリー契約を結んだ。
(これもなんだかうまく説明できないのだけれど、女性参画の時代を象徴する画期的な出来事だ)

あきらめたらそこで試合終了だよ、とはある名作コミックの中の有名な台詞だが、本人は完全に諦めていても実はまだ試合は終わっていないこともある。
もう山下さんの写真を撮るのは無理だろう、とすっかり意気消沈していた10月のある週末だった。ある仕事で撮影に出かけた埼玉スタジアムでのJ1リーグ浦和レッズ対サガン鳥栖戦、なんと主審は山下さんだった!
女子のなでしこリーグ、WEリーグ、そこから男子のJ2リーグそしてJ1と、カテゴリーがあがるにつれ試合展開のテンポは速くなるし、選手たちのプレーもしたたかさを増す。その日は山下さんにとってまだ2試合目のJ1リーグ、果たして女性に男子のサッカーの主審が務まるのか?そんな雰囲気は試合前からそこはかとなく会場に漂っていたし、正直僕自身もそう思うところはあった。

でも。結果から先に言うと、山下良美主審は何の問題もなくこの試合を裁ききった。いや、何の問題もなく、ではなく、見事に、と表現した方がいい。アドバンテージをとるタイミングも、ジャッジに異議を唱える選手たちへの対応も素晴らしかった。興奮する(もしくは興奮したふりをする)選手に対し、興奮口調で説明し返す男性審判は多いが、山下さんは終始クールな表情とほんの少しのスマイルで選手たちの口を閉じさせていた。
「女性が男性の試合を担当する時、唯一克服しなきゃいけないのはスピードの部分だけなんだよね。そこがクリアできれば、むしろ女性が審判をやった方が試合はスムーズに運ぶんじゃないかな」
とは、彼女が社会人になって所属していたサッカーチームの監督、サッカージャーナリストでもある大住良之さんのコメントだが、実際この日の彼女の審判ぶりはそのコメントに100%同意したくなるほどのパフォーマンスだった。と同時に、なんで自分はこれまで「女性には男子の試合の審判は無理」と思いこんでいたのか、それが不思議に思えもした。

この原稿を書いている時点で、カタールでのW杯まであと2週間である。そこからおよそ1ヶ月、世界最大のサッカーの祭典は続く。決勝が行われるのは今年の暮れだが、実は密かに危惧していることがひとつある。ようやく書き終えた山下さんの原稿に、また新たに書き足さねばいけない大きな出来事があるんじゃないか、と。

近藤 篤

写真・文

近藤篤

ATSUSHI KONDO

1963年1月31日愛媛県今治市生まれ。上智大学外国語学部スペイン語科卒業。大学卒業後南米に渡りサッカーを中心としたスポーツ写真を撮り始める。現在、Numberなど主にスポーツ誌で活躍。写真だけでなく、独特の視点と軽妙な文体によるエッセイ、コラムにも定評がある。スポーツだけでなく芸術・文化全般に造詣が深い。著書に、フォトブック『ボールピープル』(文藝春秋)、フォトブック『木曜日のボール』、写真集『ボールの周辺』、新書『サッカーという名の神様』(いずれもNHK出版)がある。