柳川さん、行こう!
選手村から競技場へ向かうバスの中、柳川が静かに口を開いた。「ずっと金メダルって言ってきたけど、とにかくメダルを獲りたい。だから前には2人まで、それ以上は行かせないでくれ」
4年前のバルセロナで届かなかった表彰台。その悔しさを、柳川は4年間抱え続けてきた。バルセロナのレースでは伴走者が途中で足のけいれんをおこし、失速してしまったのだった。
スタートの号砲が鳴り、レースは序盤から動いた。事前にマークしていた世界記録保持者は動かず、代わってコロンビアとメキシコの選手が飛び出した。
10キロ地点で安田は前を追うことを決断する。
ブラインドマラソンにおいて、その場で作戦を決めたり変更したりするのは伴走者の役目だ。予定にはなかったが、安田のレース経験がそう告げていた。これ以上離されたら、捉えきれなくなる。
二人は16キロで先頭に追いつくが、中間点付近で柳川が転倒し、再び差が開く。しかし安田は落ち着いていた。コースは完璧に頭の中に入っていたし、勝負をかける場所も決まっていた。大丈夫、上りで追いつける。
25キロ付近、そこから長い下り坂が始まる。
柳川さん、行こう!二人は前へ出て、30キロ付近で先頭に立つと後続との差を開けた。しかし、35キロを過ぎると柳川の動きが目に見えて鈍くなってくる。スパートでエネルギーを消耗した上に、アトランタの暑さがのしかかってきた。
安田は叫んだ。後ろから来てるぞ!抜かれるぞ!嘘だった。実際には、まだ十分な差があったが、柳川は安田の言葉を信じ、再びギアを入れ直した。給水所では、あらかじめ用意していた氷水を柳川の頭からかけた。少しでも彼の身体を冷やしたかった。
そのとき、柳川が息を切らしながら言った。安田さんも、水を飲んでください。安田は声を荒らげ、俺のことはいい、自分のことだけ考えて走れ!と答えた。
当時の安田はフルマラソンを2時間17分台で走る脚を持っていた。一方の柳川は2時間50分台、安田からしてみれば余裕で走り切れるペースに過ぎなかった。そして、この両者の力の差こそが、安田に声をかけた順天堂大学陸上競技部の澤木監督が探し求めていたものだった。
やがて競技場が見えてくる。安田は後ろを振り返り、追ってくる選手の姿が見えないことを確認すると、人生で初めて伴走した10歳以上年上のランナーにこう告げた。もう大丈夫だ。応援してくれてる人に手を振りなよ。
柳川は右手を上げ、観客からは歓声が返ってきた。安田は、ロープを握った柳川をほんの少し先にゴールさせ、自分もすぐ後にゴールした。2時間50分56秒、自己ベストで金メダルを獲得した。
「感動?そういうのはあまりなかったですね」と安田は当時を振り返って言う。
「どちらかというと、ほっとしたって感じです。アトランタに着いてからは、柳川さんがいろんな人の思いを背負って走ってることが、よくわかりましたから。なので、これはなんとしてもメダル取らせなきゃいけないんだな、と」
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