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【安田享平の足跡】ともに走るという生き方

【安田享平の足跡】ともに走るという生き方

忘れられない出来事

安田享平は人生のほとんどの時間を千葉県の南西部、君津という土地で過ごしてきた。

小学校時代は野球少年、好きな球団はジャイアンツとロッテで、毎日のように仲間と草野球をやって放課後を過ごした。
だから中学校へ進んでも迷わず野球部へ入った。

野球少年だった彼が走ることに目覚めたのは、中学3年生のときだ。

当時、安田の通っていた中学校に陸上部はなく、地域の駅伝大会のシーズンが近づくと、野球部やサッカー部から足の速い生徒が選ばれ、学校代表チームがつくられた。

【安田享平の足跡】ともに走るという生き方

走るのは得意だったが、特に好きではなかったし、長距離走はむしろ嫌いだった。だから体育の授業での長距離走は、わざと力を抜いて走り、学校代表チームに選ばれないように心がけた。もちろん、まわりの大人は彼がわざと遅く走っていることに気づいていた。

中学3年の夏休み明け、いつものように適当に力を抜いて3,000m走を走っていた安田は先生にこっぴどく叱られ、駅伝の学校代表チームに選ばれてしまう。そして本番ではチームのアンカーを任され、トップでゴールテープを切り、優勝してしまった。ついでに、区間賞も獲得した。

忘れられない記憶となったのは、その後の出来事だ。翌週の月曜日の朝礼、彼は全校生徒の前で名前を呼ばれ、表彰されたのである。なんだかすごく気分が良かったんですよ、と安田は微笑みながら当時を振り返る。メダルや賞状、そんなものとは無縁だった自分だけど、こういう世界もあるんだなあって。

そして、ランナーへ

地元の千葉県立袖ヶ浦高校に進学した安田は、迷うことなく陸上部へ入部する。

元々、千葉県の陸上界では、足の速い選手たちは千葉県北部地域にあるいくつかの陸上強豪高校へ進学する。そこには自分より明らかに速い選手たちが何人もいた。しかし安田が入学した高校の陸上部にそんな選手は一人もおらず、顧問の先生は短距離が専門だった。

だったら自分たちで考えて練習してみれば?

顧問のアドバイスに従い、いろいろと練習を工夫し、トレーニングを続けたが、高校2年になっても記録は思うように伸びなかった。努力しても報われない、そんな時間が続いたが、競技をやめようとは思わなかった。

【安田享平の足跡】ともに走るという生き方

通常、夏のインターハイが終われば、高校3年生の部活動は終了する。安田は、5月の千葉県予選で落選してしまったが、その後も普段通りのトレーニングを続け、夏が終わる頃からいきなり記録が伸び始めた。

進学するか、それとも就職するか。君は教師に向いてるな、と進学を勧めてくれた先生もいたが、安田は社会人ランナーとして走り続ける道を選んだ。よりハイレベルの環境に身を置いて、競技者としての自分の限界を突き詰めてみたかった。「だったらウチの会社に来ないか?」足の速い先輩ランナーに誘われた安田は、地元の新日本製鐵株式会社君津製鐵所(現・日本製鉄株式会社)へ就職することにした。

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