9月28日(金)、東京・丸の内にて今年度3回目の中間報告会を実施しました。今回は、体験チャレンジャーの田井小百合選手(第6期生・陸上/障害者スポーツ)、細川孝介選手(第6期生・スノーボード/ハーフパイプ)、我孫子智美選手(第5期生・陸上/棒高跳び)の3名が参加しました。
デフリンピック出場をめざす田井選手からは7月にカナダで開催された世界ろう者陸上選手権の報告を、また細川選手からは本格的なウィンタースポーツシーズンを迎えるにあたり、これまで積み上げてきた準備と新シーズンへの意気込みについて報告してもらいました。またこの夏ロンドンオリンピックに出場した我孫子選手からは、オリンピックという舞台に立った実感とそこで感じたトップ選手との差、また競技場や選手村の様子をたくさんの写真とともに報告してもらいました。
報告会の終了後には、浅見俊雄審査委員長を座長に、西田善夫審査委員(体験)、綿貫茂喜審査委員(研究)、遠藤保子審査委員(研究)をまじえて座談会を実施。「世界のトップとの差」についてあらためて考え、意見を交換しました。「体格差」「目の前の試合に対する強い気持ち」「経験」などさまざまな意見が出ましたが、「力の差を埋めるために外国人選手のような体格をめざすのではなく、日本人の長所を伸ばすことを考えるべきではないか」という意見が出て、「俊敏性」「スピード」「スタミナ」「技術」など、あらためて自分自身の長所を見つめなおす機会にもなりました。
田井 小百合(第6期生) 陸上・ハードル(障害者スポーツ)/選手
7月にカナダ・トロントで開催された世界ろう者陸上選手権の100mハードルに出場した。結果は14秒75(追い風参考記録)で2位だった。大会前に不安を感じていたランプ式のスタートや補聴器の持ち込み禁止について大きな問題はなく、この時点での自分の力を発揮できたという意味では非常に満足できる大会だった。帰国後、デフリンピック最終選考会である日本聴覚障害者陸上競技選手権では優勝したが、ここでは向かい風でタイムが伸びず、A標準記録を突破することができなかった。世界選手権での疲労も影響したかもしれない。
まだ出場が決まったわけではないが、来年のブリガリアデフリンピックでは金メダルをめざしたい。病気で聴力が落ち、気持ちが沈み込んだ時から「そんな自分に打ち克ちたい」「子どもにデフリンピックで走る自分を見せたい」という気持ちを持ち続けてきた。育児とトレーニングの両立や加齢によるコンディションづくりの難しさなど課題もあるが、目標を実現して聴覚障害陸上の普及に貢献し、競技に取り組む若い世代の活力剤となりたい。
細川 孝介(第6期生) スノーボード・ハーフパイプ/選手
2014年ソチオリンピックへの出場をめざし、これまで身につけてきた技の完成度を向上させることと難易度の高い新技の完成に春先から取り組んできた。そのため雪のやわらかいアメリカで雪上トレーニングを積んできたが、残念ながらシーズン前に新しい技を完成するまでには至らなかった。一方で客観的なフィジカルデータを知りそれをトレーニングに活かすために、JISS(日本スポーツ科学センター)での計測とトレーニングも行った。
ワールドカップの開幕戦は懸念していた新技で小さなミスが出て結果を残すことができなかった。来年2月にカナダで開催される世界選手権への派遣メンバーが、そのまま翌月ソチで開かれるプレオリンピックの代表にもなる。その4人のメンバーに入るためには12月のワールドカップ第2戦(アメリカ大会)で上位に食い込むしかない。10月上旬から再びニュージーランドに渡って技の精度を高め、自信を持って大会を迎えられるよう全力で準備する。
我孫子 智美(第5期生) 陸上・棒高跳び/選手
ロンドンオリンピックに出場してきた。満員の陸上競技場で素晴らしい経験をさせていただいた。とは言え実際には強い横風やピットの不具合、また踏切位置がコーチから見えずアドバイスを受けられないなど、いくつかの問題を抱えたまま1回目の跳躍を迎えてしまった。私はA組の1番手だったが、逆に不安になる暇もなかったため無心で跳べたのが良かったかもしれない。ポールは日本選手権で日本記録(4m40)を出した時よりやややわらかいものを選び、4m20、4m25をそれぞれ1回で成功させたが、それ以上記録を伸ばすことができず最初のオリンピックは19位タイで予選敗退となった。
今大会、予選通過のボーダーラインは4m55だった。私があの場でその記録を出すためにはすべての条件が最高の状態で揃わなくてはならない。それを考えるとアベレージを上げる、つまり「この高さならどんな条件でも跳べる、いつでも跳べる」というレベルを上げる必要があると感じた。次のリオ五輪まで4年は長い。あまり焦らず、最初の2年はしっかりと身体をつくりながら、海外試合の経験を増やし、自己ベストを上げていきたい。