クローズアップレポート

鈴木 康大

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鈴木 康大

カヌー/選手


2年後、リベンジを果たすために
〜ロンドン五輪アジア最終予選敗退からの決意〜

世界を知ることから始まった

アジアにたったひとつしかないカヌースプリント1,000mのロンドンオリンピック出場権。このたったひとつの椅子を目指し、鈴木康大選手はカヌースプリントアジア大陸最終予選(10月・イラン)に臨みました。しかし結果は4位、この瞬間、鈴木選手の長い長いロンドンへの挑戦の旅が終わりました。

この旅は4年前、北京オリンピックアジア最終予選が終了した時点にスタートしました。「北京オリンピック予選の頃は、僕自身がまだ日本のトップと言えるレベルではなかったのですが、この大会で3位を獲得したことが本格的にオリッピックを目指そうと思ったきっかけになりました。オリンピックに出場するにはアジアNo.1が前提ですが、一方で世界のトップにはまるで歯が立たない自分がいることも分かっていました。そこで4年後は、アジアはもちろん世界にも近づいていたいと思ったのです。ただ“彼らに近づくには何をすれば良いのか? 彼らは何をして速くなっているか?”ということがさっぱり分かりませんでした。だから自然に“世界を見てみたい”という気持ちが湧いてきたのです」

この思いが実現したのが2009年1月、単身でかけたオーストラリアへの武者修行です。そこで衝撃を受けたのが日本で鈴木選手が取り組んできた練習との違いでした。「一番は漕ぐ量の違いです。僕にとっての長距離練習と言えば4 km程度でしたが、彼らは平気で10〜20kmの長距離練習を行います。まるでマラソン選手のような練習でした。もちろんそれだけでなく、ウエイトトレーニングがあり、短い距離のインターバルがあってと、練習量が尋常ではありませんでした。さらに練習の質にも驚かされました。例えば500m×10本のインターバル、世界のトップは10本すべてペース、タイムともに高い質を維持していましたが、僕は10本やり終えることに満足していた。世界基準で考えると8本は無駄にしているような状態でしたね。そこで痛感しました。体格も実力も兼ね備えた選手が、自分の数倍漕いで、さらに質の高い練習をしているわけだから勝てるわけがないって」

鈴木選手はこのオーストラリアでの経験を機に世界を基準に練習を重ね、いつしか国内ではカヌースプリント1,000mの先駆者として頭ひとつ飛び抜けた選手に成長。日本代表の中心メンバーとなり数々の国際大会に出場してきました。しかし、ロンドンのアジア大陸予選の前哨戦とも言える2010年のアジア大会では、残念ながら3位に終わってしまいます。

「単純に練習の質と量が足りなかったのだと思います。オーストラリアの合宿をターニングポイントにずいぶんと練習内容が変わり、タイムも伸びてきました。そして2010年は日本代表でメキシコでの高地合宿など充実した環境を整えてもらったのですが、一人での調整がほとんどだったため、自分で限界点を決めてしまっていたのだと思います。毎日腕がパンパンになるまでやっていたけれどそれが限界だったのか、今思えば疑問ですし、海外にいる時のように自分を遥かに超える存在に食らいついていくことで得ていた限界と差があったのでしょう」

いまを超えるために悩み抜く覚悟

アジア大会を3位で終えた鈴木選手は、再び世界に練習環境を求めました。それが2011年4月から4ヵ月におよぶスロベニアを中心とした武者修行です。「2010年は、アジアNo.1になることが目標でした。この考えは決して間違っていた訳ではないのですが、アジアのトップ選手は世界を見据えた練習をしていたんです。それが3位という結果となった要因だと思います。まさに初心を忘れていたと言えるでしょう。アジアではなく世界に近づくことが、オリンピックへの近道だと分かっていたのに… だから最終予選はもう一度初心に戻り、世界で、オリンピックで戦うための準備をしようと思ったのです」

スロベニアでの4ヵ月間は、世界トップレベルの選手とともにこの4年間で最も多くの距離を漕ぎました。また食事など生活面でも多くの時間をともにして、世界との距離を縮めていきました。さらに国際大会4戦に出場し、ワールドカップ1・2戦では、アジア選手の中でトップとなりオリンピック出場圏内に初めて入る成果も挙げました。その後、スロベニアでの合宿を終え、オリンピックの出場権がかかったハンガリーでの世界選手権(上位8人が内定)に出場。ここでは24位だったものの、その後は日本に戻り、国際大会で見つけた課題の克服をしながら、最終予選への準備を進めたのでした。

こうして迎えた最終予選決勝、「前半の500mは余力を残すため9割程度で漕ぎ、トップから2艇差の2位とイメージ通りの展開でした。後半500mはギアを全開にして、最後の200mは腕が動かなくなったのですが、それでも全身を使って前に進んでいけたという実感はありました。でも、出場を決めたのはライバルであるイランの選手でした。当時はすべてが失われてしまった感じだったし、自分の置かれた状況が理解できませんでした。負けた… 行けなかった… それだけでした」

あれからひと月、鈴木選手は悔しさの中でもがきながら、ひとつの大きな決断を行っていました。「自分では後悔のないようにやってきたつもりだったので、もしロンドンがだめでも終わりにしようと思っていました。でも、ひとつだけどうしても納得のいかないことがありました。それはイランのライバルに負けっぱなしだということです」。鈴木選手はそう言ってひと呼吸置くと「だから決めました。2年後のアジア大会まですべてをカヌーに捧げるつもりで、もう一度やってみようと」

そして今、鈴木選手の頭の中はこれからの2年間をどのように使うのかで一杯です。それは4年前、世界を知ろうと立ち上がった鈴木選手とだぶって見えます。「4年間のうち世界のトップクラスと過ごしたのは6ヵ月、そのなかで学び、実践してきたことは自分を大きく成長させてくれました。2009年、オーストラリアに行っていなかったら今の僕はない、それだけははっきりと言えます。それでも勝てなかったのは、何かが足りなかったからです。では勝つためには何をすればいいのか? 海外でもっと長く練習をすれば良いのか? トレーニング方法を変えるのか? 道具を変えるのか? 正直、今は分かりません」

鈴木選手がオリンピックを目指し1からスタートを切ったのは4年前。いくつ進めばゴールに辿り着くのかは定かではありません。しかし今回は1からのスタートでないのです。「ひょっとするとゴールはすぐそこにあるのかもしれない。そして、僕には後2年あるからこそ悩むことができるのです。悔いのないように思いっきり悩んで、その後に選んだ答えを信じ突っ走ります」。2年後のリベンジを胸に再びカヌーを漕ぎはじめた鈴木選手。また長い長い旅が始まったのです。



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