考察-プロアスリート・国枝慎吾選手が残した功績について考える

公益財団法人笹川スポーツ財団 政策ディレクター/当財団障害者スポーツ・プロジェクト メンバー

小淵和也

2023年1月22日、男子車いすテニスの国枝慎吾氏が現役引退を発表した。国枝氏は四大大会で通算50勝(男子シングルス28勝、男子ダブルス22勝)、パラリンピックはアテネ2004大会から東京2020大会まで5大会連続出場、北京、ロンドン、東京の3大会で金メダルを獲得した、言わずと知れた世界的レジェンドである。

国枝氏の主な戦績を振り返ってみたい。2007年に男子シングルスでは史上初となる年間グランドスラム(全豪オープン、ジャパンオープン、ブリティッシュオープン、全米ウィールチェアの四大大会)を達成した。当時の四大大会は現在のグランドスラムと大会が異なっており、健常者と同じ現在のグランドスラム(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープン)になったのは2009年のルール改正時で、ウィンブルドン選手権にシングルスが追加されたのは2016年のことである。2022年、ウィンブルドン選手権を制覇したことにより、男子シングルス初の四大大会制覇の「キャリアグランドスラム」を達成、四大大会制覇にパラリンピック制覇が加わる「キャリアゴールデンスラム」の偉業も成し遂げた。全豪オープン優勝11回、全仏オープン優勝8回、ウィンブルドン選手権優勝1回、全米オープン優勝8回は前人未到の功績と言える。2023年2月、政府は国枝氏への国民栄誉賞を授与する方針を固めたことからも、これまでに歩んできたキャリアがパラスポーツ界だけに留まらず、日本国民に大きなインパクトを残してきたことの証と言えるだろう。

本稿では、国枝氏がわが国に与えた社会的インパクトの観点から概観する。ヤマハ発動機スポーツ振興財団(以下、YMFS)「パラリンピアンに対する社会的認知度調査」(2017)では、リオ2016パラリンピック大会(リオ2016大会)の終了後に、全国の20歳以上の男女約2,000人を対象に、リオ2016大会に出場したパラリンピアンの認知度調査を実施した。第1位は国枝氏で、「知っている」(20.9%)、「聞いたことがある」(13.1%)をあわせた認知度は34.0%であった(図表-1)。第2位の上地結衣選手の認知度が14.8%だったことを考えると国枝氏の認知度が一人だけ高いことが分かる。国枝氏の実施競技が「車いすテニス」であることを知っている「正誤率」は79.2%で、国枝氏を認知している人の約8割は車いすテニスの選手であることを把握していた。YMFS「パラリンピアンに対する社会的認知度調査」(2022)では、東京2020パラリンピック大会(東京2020大会)終了後に全国の20歳以上の男女約2,000人を対象に、東京2020大会に出場したパラリンピアンの認知度調査を実施した。リオ2016大会同様、第1位は国枝氏、第2位は上地選手であった。国枝氏を「知っている」(31.3%)、「聞いたことがある」(13.9%)をあわせた認知度は45.2%で、リオ2016大会の34.0%から11.2ポイント増加した。国枝氏の実施競技が「車いすテニス」であることを知っている「正誤率」は81.7%でリオ2016大会の79.2%から2.5ポイント増加した。国民の約2人に1人が「車いすテニスプレーヤー・国枝慎吾」を認知していた。2009年からはプロアスリートとして活動をはじめ、パラスポーツ界の第1人者として、誰も歩んでこなかった道を切り開き、結果を残してきた実績は、日本国民の意識にも大きな影響を与えてきたことが推察できる。

図表-1 パラリンピアンの認知度と正誤率:上位5位(リオ2016大会・東京2020大会)
図表x-1 パラリンピアンの認知度と正誤率:上位5位(リオ2016大会・東京2020大会)

YMFS「パラアスリート起用のテレビコマーシャル(TVCM)」実態調査(2022)では、パラアスリートを起用したTVCM の実態を把握した(図表-2)。2008年時にはパラアスリートが起用されたTVCMは1件のみであったが、その1件が国枝氏の出演するTVCMであった。東京2020大会の開催が決定する2013年よりも5年も前の出来事である。

図表-2 パラアスリート起用関連のCM件数(2008~2021)
図表x-2 パラアスリート起用関連のCM件数(2008~2021)

2008年は、国枝氏が2007年に車いすテニス男子シングルス史上初の年間グランドスラムを達成した翌年である。「共生社会」という言葉が今ほど出てこなかった時代である。メディアや国民、企業などがパラリンピックに注目する以前から、国枝氏が世界で結果を残し、著名なアスリートが起用されることの多いTVCMに唯一の障害者のアスリートとして出演してきたことが分かる。“障害者の代表”としてではなく、プロアスリートとしての結果が評価されメディアに登場していたと言える。

東京2020大会の大会スポンサーの契約が始まったのは2015年である。2016年からはパラアスリートを起用したTVCMが急増し、現在もその傾向は続いている。2015年~2021年までのパラアスリートを起用したCM数の首位も国枝氏(21件)だった(図表-3)。2013年の東京2020大会の開催が決定した以降も、東京2020大会の顔としての役割を各所から期待されていたことが伺える。

図表-3 パラアスリート別CM数(2015~2021)上位20位
図表x-3 パラアスリート別CM数 (2015~2021)上位20位

世間が注目する以前から結果を出し続け、さらに世間の注目が高まった中、特に東京2020大会では日本選手団の主将を務め、地元開催のプレッシャーに打ち勝っての金メダル獲得は、後世に語り継がれる前人未到の偉業と言える。国枝氏の現役引退はわが国のパラスポーツにとって、ひとつの転換点になると考える。国枝氏のようなスーパーヒーローの出現も待たれるところだが、パラスポーツ界全体で盛り上げていく意識がさらに重要になるだろう。

参考文献等

プロ車いすテニスプレイヤー国枝慎吾公式サイト: https://shingokunieda.com/
ヤマハ発動機スポーツ振興財団「パラリンピアンに対する社会的認知度調査」(2017)
ヤマハ発動機スポーツ振興財団「パラリンピアンに対する社会的認知度調査」(2022)
ヤマハ発動機スポーツ振興財団「パラアスリート起用のテレビコマーシャル(TVCM)」実態調査(2022)