スポーツチャレンジ賞

スポーツ界の「縁の下の力持ち」を称える表彰制度
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第9回 功労賞 今村大成

第9回 功労賞 今村大成

日本若手卓球選手の武者修行を支え続ける「デュッセルドルフの父」

バルセロナ五輪、アトランタ五輪、シドニー五輪で活躍した松下浩二選手が、日本人初となるブンデスリーガへの挑戦を決意したのは1997年。(株)タマスの契約選手だったこともあり、所属クラブ探しや契約時の通訳といったサポートを行った。松下選手は「自宅に招いていただいて、ハンガリー人の奥様がつくる和食を食べながら日本語で話せることが何よりのリフレッシュとなった」と振り返る。こうしたサポートを受けた松下選手は、ボルシア・デュッセルドルフに所属した1999‐2000シーズンにヨーロッパチャンピオンズリーグで優勝するなど活躍した。

その背中を追うように、やはりアトランタ五輪日本代表の田埼俊雄選手(後にシドニー五輪、アテネ五輪にも出場)が1999年に渡独。田埼選手は契約選手ではなかったが、「日本人選手の活躍は、日本卓球界の繁栄につながる」と松下選手と同様のサポートを買って出ている。

一方、2001年世界選手権で日本男子が13位に低迷したことを契機に、前原正浩監督(当時、現・JTTA副会長)はジュニア/ユース世代の有望選手たちに世界基準の卓球を身につけさせるため、「小学生ナショナルチームの発足(1期生は当時小学校6年生の水谷隼選手)」と、「中高生年代の海外派遣」に取り組んだ。こうした中で、2002年、岸川聖也選手と坂本竜介選手、翌2003年には水谷隼選手と村守実選手といった中高生年代の選手が、所属する学校の協力を得てドイツに留学し強化に励んだ。
その都度、今村氏は受け入れ先となるクラブを探し、住居となるアパートや学力向上のための家庭教師の手配、またあらゆる場面での通訳など、まだ若い選手たちの生活面を献身的にサポートした。「本来は協会がやるべきことだったが、当時はそれができなかった。だからこそ、今村さんの存在がありがたかった」と前原氏は振り返る。

以降もリオ五輪に出場した丹羽孝希選手や吉村真晴選手など、多数の選手が今村氏のサポートを受けてドイツでの武者修行時代を過ごした。競技レベルや性別を問わず、ドイツで卓球をするために今村氏を訪ねた選手は50人を上回る。
現在では国内外の用品メーカーや所属する学校の支援などで渡航のためのルートは広がったが、日本若手卓球選手にとって重要なパスウェイとなったドイツでの武者修行は、今村氏の存在なくしてあり得なかった。前原氏はその功績を、「日本人にはできない、反面、日本人にしかできないサポートの在り方」と評し、また「リオ五輪や世界選手権で日本が獲得したメダルのどこかには、今村さんの縁の下の力持ちとしての貢献がきっと含まれている」と話す。

第9回 功労賞 今村大成

今村大成株式会社タマス 取締役/Tamasu Butterfly Europa GmbH 社長(1957年生・富山県出身)

1984年、卓球用品メーカー(株)タマスの社員として欧州現地法人に赴任(当時27歳)。以来、現在に至るまで33年にわたってドイツに在住。1997年、松下浩二選手が日本人として初めて卓球ブンデスリーガへの挑戦を決意すると、所属クラブ探しや契約時の通訳、また生活全般において公私にわたるサポートを行った。以来、ブンデスリーガに参戦する日本人選手が徐々に増え、自社契約選手である・なしに関わらず、その都度、サポートに駆け回った。2002年になると、日本卓球協会(JTTA)による中高生年代を対象とした海外派遣による強化が活発化。その多くはドイツに渡り、岸川聖也選手や水谷隼選手が今村氏を頼って強化に励んだ。これまでドイツ武者修行で今村氏のサポートを受けた日本人選手は男女合わせてじつに50人を超え、親心ともいえるその献身的なボランティア精神に、多くの選手たちが感謝の念を抱いている。