基調講演
基調講演
日時 3月15日(金) 17:00〜17:30
講演者 浅見 俊雄
公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団 理事・スポーツチャレンジ助成 審査委員長、東京大学・日本体育大学名誉教授、日本サッカー協会顧問
演題 チャレンジって何だろう

講演概要

YMFSの事業に共通するコンセプトは、スポーツの世界でチャレンジする人を応援したり称えたりすることで、チャレンジすることの尊さを世に広めていきたいということだと理解している。チャレンジすることには人間にとってどんな意味や価値があるのだろうか。

人は他の動物と比べて極めて速いスピードで進化を続け、文化、文明を発展させてきたが、それはできないことをできるようにするチャレンジを続けてきたからである。しかもそうして獲得してきた知や技術を遺伝情報には組み込まず、大脳はほとんど白紙の状態のまま生まれ、生後に個人のチャレンジによって獲得するという戦略をとった。

言葉も、立つことも歩くことも、人の進化の過程で獲得してきた過程をたどるかのように、自ら努力して獲得していかなければならない。そしてそれまでに人が獲得している知や技術を高いレベルにまで獲得しえた人が、新たな知や技術を獲得するためのチャレンジをしていくことで、文化、文明をさらに開発し発展させていくのである。

チャレンジなしには人の正常な成長・発達はあり得ないし、新しい知や技術の創造は行えない。スポーツや科学はこうしたチャレンジの恰好の場なのである。


プロフィール

浅見 俊雄(あさみ としお)
公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団 理事・スポーツチャレンジ助成 審査委員長
東京大学・日本体育大学名誉教授、日本サッカー協会顧問

県立浦和高校でサッカー全国高校選手権大会優勝、東京大学では第1回サッカー全国大学選手権大会優勝など。卒業後はサッカーの審判員資格を取得、1959年に日本サッカー協会一級審判員、1961年に国際審判員。引退後はJFA審判委員長(1993年からはJリーグ審判委員長兼任)、中央教育審議会委員、国立スポーツ科学センター(JISS)センター長、アジアサッカー連盟 審判委員会・規律委員会副委員長などを歴任。

演題:チャレンジって何だろう

講演者 浅見 俊雄
公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団 理事・スポーツチャレンジ助成 審査委員長
東京大学・日本体育大学名誉教授、日本サッカー協会顧問

チャレンジとは、「できないこと」や「知らないこと」を
「できるようにする」「分かるようにする」こと

今日は「チャレンジって何だろう」というテーマで皆さんと一緒に考えていきたいと思いますが、すでにチャレンジしている人たちを前に話さなければならないわけですから、私としては正直つらいところでもあるんです。まさにこれがチャレンジということなのかもしれません。(笑)

さて皆さんは、これまでチャレンジって何だろう? と、あらためて考えたことがありますか? たとえば動物たちはチャレンジするでしょうか? 私も考えてみたのですが、競馬で負けた馬が悔しがって、涙を流して、翌日から早起きをして、自分からトレーニングを始めるなんてことはないですよね。でも、人間はそういうことをするわけです。負けた、悔しい、よしもっと頑張ろうというわけで、次の日に一人で練習を始めるというような……。なぜ人はそんなふうにチャレンジをするのか?

たとえば、お母さんから「もっと勉強しなさい!」なんて言われると、「なんで勉強しなきゃいけないの?」なんて聞く小学生もいるようです。でもお母さんは、「そんなことはいいから、とにかく勉強しなさい!」なんて言ってしまうのですが、これでは勉強する目的の回答にはなっていません。そういうことについて、今日はちょっと考えてみたいと思っています。

武田鉄矢さんは、ドラマの中で「人という字は互いに支え合って……」というようなことを言いましたが、それは漢字の成り立ちからすると間違いです。「人」という字は、二本の足で直立する姿を表しています。この、二本の足で立つということが、人間の大きな特徴の一つになっています。では、なぜ人間は進化の過程で二足歩行を選択したのか?

地球というこの環境の中で、単細胞の生物が生まれて、それがどんどん進化しながら、現在のような多種多様な動物や植物に変わってきました。その進化は、常に良い方向に変わってきたわけです。悪い方向に変わった種はやがて駄目になり、最終的には絶滅してしまいます。そうした中で、ともかく人は、進化の過程で二足歩行という良い方向を選びました。二足歩行をしたことによって、体重を支えていた手が解放され、さらに重心の真上に頭がきたことで、脳が重くなってもバランスを崩さないような姿勢を手に入れたのです。

さらに、そうした進化の中で、手となった前肢の関節の動きが大きく変わりました。哺乳類の足は前と後ろでほとんど同じ構造ですが、人の場合はここが非常に大きく変わったのです。要するに、指、手首、肘、肩、こういった関節の自由度が非常に高くなり、そのためにいろいろ複雑な動作もできるようになったわけです。しかし、自由度が広がっても、そういった新しい動作を覚えていくには、そのたびに脳の中に新たなプログラムを組んでいかなければなりません。手と脳が連絡を取り合って、今までできなかったことをできるようにしていく、そんな進化を重ねてきたのです。

歩くこと、走ることといった単純な動作と同じように、脳と筋肉との共同作業によって、人間はもっと多様な運動形態もできるようになりました。道具を作る、火を使う、といった動きや知を膨らませて、さらに、その道具を使っていろいろな技術を手に入れるに至りました。そうやって先人たちは多様な文明・文化というものを築いてきたのです。
このわずか100年の間でも、人間の生活様式は大きく変わりました。つまり「できないこと」あるいは「知らないこと」を、「できるようにする」あるいは「分かるようにする」ということを繰り返してきたのです。この「できないこと」あるいは「知らないこと」を、「できるようにする」「分かるようにする」行為こそ、今回のテーマであるチャレンジです。その繰り返し、その積み上げで、今の人間があるのだと私は考えています。

しかし、こうして獲得した動きや知恵、技術などは遺産としては次の世代に残せますが、不思議なことに人間はせっかく獲得した動きや知恵というものを、遺伝子に組み込んで子孫にそのまま伝えることはしていません。
たとえば、馬などは生まれるとすぐに立ち上がって、しばらくすると歩きだしますよね。しかし人間にはそれができない。赤ちゃんは、自らの力では移動することさえできません。何も知らず、何も持たずに生まれてくる。そういう赤ちゃんが「できない」「知らない」という状態から、「できるようになる」ためには、どんなに小さくたって、チャレンジしなければなりません。もちろん、両親や周りの助けは必要ですけれども。


“Challenge”という文字の中には“Change”がある
良い方向に「変わる」ことを目指すべき

話は変わりますが、近ごろ、子どもたちの投げる能力がガクンと落ちています。ほかの体力については、ここ何年間かの働きかけによって昭和60年頃の水準に戻りつつあるのですが、投げる能力だけは男女ともに大きく落ちているんです。皆さんは、最近、家のまわりでキャッチボールをしている子どもを見たことがありますか? キャッチボールができる場所もないのかもしれませんが、本当に少なくなりましたよね。いずれにせよ、投げるチャレンジなしに、その能力は高まらないのです。

学校教育では、それまで人間が開発してきた動き、知識、技術など、人として生きていくために最低限必要だとされるものを教えています。けれども、今の学校では、残念ながら本人がさらなる努力をしないと、もっと具体的に言うなら塾や習いごとに通わないと、最低水準のものさえ身に付かないのが現状なのかもしれません。前転がうまくできなくても、跳び箱を跳べなくても、逆上がりができなくても、泳げなくても、体育の時間の中で跳び箱をやりました、逆上がりをやりました、はい、この子はできた、この子はできない、で終わってしまいますから。その一方で、優れた先生がいる学校では、全員が跳び箱を跳べる、逆上がりも全員ができるという例があるわけです。特別な条件でない限り、誰でも跳び箱や逆上がりくらないならできるようになる、という証明でしょう。

いずれにせよ、チャレンジをしなければ、人は結局、何もできないままで終わってしまいます。先ほども言いましたが、「できないこと」や「知らないこと」を、「できるようにする」「分かるようにする」ということが、チャレンジだと私は思っています。その中でもこれまでの人類が到達できなかったところ、まだ分からないところ、それにチャレンジしているのが皆さんのようなトップアスリートであったり、研究者であったりするわけです。これまでの人類が10秒を切ることができなかったら、9秒台で走る。研究の分野であれば、すでに論文として発表されている知の先にある未知、その部分を知にする。そういうことです。

チャレンジ(Challenge)という文字をあらためて見てください。チェンジ(Change)という文字が含まれていますね。チェンジ、つまり変わる。今の自分とは違う自分になる、今ある技術とは変わった技術を開発する、今ある知とはまた一つ違う知を獲得する……。皆さんのやっていることは、自分をどう変えていこうかという努力でもあるわけです。 しかし、チェンジには方向というものが伴います。それをどっちの方向に変えていくのか、というところで価値観が問われます。人間にはそれぞれいろいろな考えがありますから、右かそれとも左に進むべきか、これは難しい問いなのですが、いずれにしても「良い方向に変わっていく」ことを目指すべきだと思います。
ただ、たとえば人間にとっては良い方向でも、ほかの動物がみんな死んでしまうようなものでは良い方向とは言えない。その点、スポーツは単純ですね。仲間より優れた記録が出せる、相手に勝てるというのが良い方向なのですから。

また、チェンジしていくには、チャンスをどうつかむかということも重要です。チャンスは目には見えませんが、結構皆さんの近くに転がっているものです。たとえばノーベル賞を受賞した山中伸弥さんが外科医、整形外科医として成功しなかったときに、なにかの機会に方向転換するわけです。方向を変える、これが皆さんにとっても大きな転機になるかもしれません。
こうして話している私自身も、けして成功者ではありません。サッカーの競技者として全国大会で優勝するレベルのチームにはいましたが、目指していたメルボルン五輪には行けませんでした。また審判になった後も、アジアNo.1と言ってもらえましたが、目指していたワールドカップには行けなかった。では研究者としてはどうだったかというと、いろいろやってはきたけれども、たいした論文も書けなかったし、唯一できたことと言えば、審判でも研究でも、私のレベルを超えた後輩たちを育てられたことくらいかもしれません。

さて、まだ話したいことはたくさんあるのですが、そろそろ時間のようです。
ともかく、人というのは変わっていこうという意識を常に持って、方向を定め、チャレンジしていければ、誰でも良い方向に変わり得るということです。もうすぐ80歳になる私が、目標に向かって果敢に取り組む皆さんの前でこうして話していることも、私自身にとっては大きなチャレンジです。今後も、皆さんのチャレンジに何かの役に立てるのであれば、喜んでサポートさせてもらいたいと思います。
以上で私の話を終わります。


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