スポーツチャレンジ賞

スポーツ界の「縁の下の力持ち」を称える表彰制度
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第5回 功労賞 樋口 豊

第5回 功労賞 樋口 豊

国際的な信頼と幅広いネットワークを活かし、日本フィギュアスケートの「開国」に貢献

明星学園高校在学中、グルノーブルオリンピックに出場。高校卒業と同時に冬季スポーツの本場であるカナダに留学し、有色人種としては初めてトロント・クリケット・スケーティング・アンド・カーリングクラブのメンバーとなった。同クラブには、北米はもとより各国から世界的なスケーターや指導者、振付師らが集まり、樋口氏はそうした環境の中で技術や表現力を磨き、全日本選手権での3連覇を達成するとともに札幌オリンピックにも出場した。

この当時の交流により築かれた国際的な信頼と幅広いネットワークは、引退後、指導者の道を歩み始めてから日本フィギュアスケート界の発展に大きな影響をもたらすことになった。1990年代半ばにJOC専任コーチに就任すると、長野オリンピックに向けて「海外のコーチや振付師から指導を受けるべき」という強化方針のもとで、日本人強化指定選手と外国人指導者をつなぐパイプ役として活躍した。荒川静香選手とトーラン・クランストン氏(振付師)やリチャード・キャラハン氏(コーチ)、本田武史選手とズミル・スカヤ氏(コーチ)やダグ・リー氏(コーチ)らの長野世代を中心に、その前後の伊藤みどり選手とデビッド・ウィルソン氏(振付師)、村主章枝選手とローリー・ニコル氏(振付師)、安藤美姫選手とキャロル・ハイツ・ジェンキンス氏(コーチ)らの師弟関係も樋口氏のコーディネイトによって実現した。

海外の指導者から薫陶を受けた長野以降の日本人選手の表現力は格段に向上したと言われ、この世代からは宮本賢二氏(振付師)をはじめとする世界的な指導者が育つなど、日本人指導者の育成にも大きな影響を与えることになった。

第5回 功労賞 樋口 豊

樋口 豊フィギュアスケートコーチ、振付師、解説者(1949年生・東京都出身)

明星学園高校、法政大学卒業。選手としてグルノーブルオリンピック(1968年)および札幌オリンピック(1972年)に出場。全日本フィギュアスケート選手権では3連覇(1969〜71年)を達成した。引退後は指導者となり、後楽園アイスパレス、品川プリンスホテルアイスアリーナ、高野アイスアリーナ等で指導を行い、1990年代半ばにJOC専任コーチに就任。長野オリンピック代表選手と世界的な指導者のパイプ役を担った。現在は明治神宮アイススケート場のヘッドコーチ、シンクロナイズドスケーティングチーム「神宮ICE Messengers Grace」のコーチを務めるとともに、NHKやJ SPORTSでフィギュアスケート中継の解説者としても活躍する。