スポーツチャレンジ賞





方向転換を強いられた大学3年の夏
大学は日本大学の文理学部心理学科に進んだ。大学進学には乗り気ではなかったが、父は進学を強く勧めた。それならば、どうせ勉強するなら、人の頭や心のことについて学ぶことにした。
大学では催眠研究会に属し、勉強もそこそこやり、暇な時間はたまにバイトをした。当時の妻木充法はどこにでもいるような大学生で、自分の将来についての目標や具体的なビジョンなど皆無だった。
しかし、妻木青年の日常は、大学3年の夏に大きな方向転換を強いられることになる。
「ある日、友人が僕のアパートに遊びにきて、銭湯に出かけたんです。しばらく湯船につかって、じゃあそろそろ出ようよ、と友人に声をかけたつもりが、見ず知らずの他人だったんですよ」
いつの間にか視力が低下していた。大学病院での検査の結果は、円錐角膜。角膜が円錐形に突起するというこの症状は、現在においても未だ原因不明の難病である。放っておけば失明する。それが担当医師の診断だった。
同時期、妻木は清水の父親を病で失ってもいる。
「都合の悪い思い出はあまり覚えていないんですけどね。でもたぶんあの頃は、大変なストレスの中で生きていたと思います」
辛い時期だったが、結果的に、この眼病がきっかけで妻木は鍼灸師を目指すことになり、37年後、ゴッドハンドとまで称されるアスレチックトレーナーとなる。禍福は糾える縄のごとし。人生とは不思議なものだ。
不思議と言えばもうひとつ、この頃に起こったある出来事も、ずいぶんと不思議なものだった。
生涯のパートナーとの出会い
当時住んでいた下高井戸のアパートは、木造モルタル二階建て、妻木はその一階に部屋を借りていた。風呂もなければ、洗濯機もなく、洗濯物は手で洗う。アパート裏には、洗濯物を干すために張られた1本のロープがかかっていた。ある日曜日の午後、妻木はそのビニール製のロープに洗濯物を一枚一枚干し、最後に水分をたっぷり含んだジーンズをかけた。
「するとね、ロープがパチンって切れて、洗濯物が全部下に落ちちゃったんですよ。それも、隣の部屋の人の洗濯物まで一緒に!」
隣部屋の住人は、妻木とほぼ同年代のOLだった。妻木は彼女の部屋のドアを叩く。トン、トン、トン。あのー、すみません…
「その女性がね、今の女房なんです」
彼女の名前はノブエといった。大丈夫、私がずっと支えていってあげるから。妻木よりも4歳年上で、優しげな顔をしたその女性は、その後彼の人生に訪れたいくつかのアクシデントや挑戦に、常に彼とともに立ち向かい、励まし、背中を押し続けてくれる人となる。
円錐角膜の結果が出た検査からおよそ半年後、妻木は角膜移植の手術を受ける。手術は無事成功に終わった。
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