スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

妻木充法
FOCUS
MITSUNORI TSUMAKI
妻木充法の足跡

「淡々と、人を、癒す」

FIFAからの招聘

「スポット参戦だと思っていたんですけどね、FIFAでの仕事は結局その後も、2006年、2010年、そして2014年のW杯へと続いていきました」

2005年、その年、妻木の人生には二つの変化が訪れた。ひとつは今現在副学校長をつとめている東京メディカル・スポーツ専門学校の前身である東京スポーツ・レクリエーション専門学校で教え始めたこと。もうひとつは、2005年暮れに行われた世界クラブW杯で、再びFIFAから審判部門のメディカルスタッフとして招聘されたことだった。

妻木の仕事ぶりを誰よりも評価し、積極的に彼を組織の中に招き入れたのは、FIFA審判部長であるホセ・マリア・ガルシア・アランダという人物だ。自らも太極拳をやり、お茶を飲み、日本あるいは東洋的な思想に深い理解と興味を持つホセ・マリアは、自身も妻木の治療を受け、この人物はFIFAに必要だと瞬時に判断した。

「あなたの治療は私がいつもやっている太極拳や気功に通じるものがある。ぜひ次のW杯に来てくれないか?」

妻木はただの外交辞令だと思ったが、ホセ・マリアは本気だった。

2006年、妻木は14年過ごしたジェフユナイテッドを辞し、主たる活動の場をFIFAでのレフェリーメディカル部門へと移す。それ以降、2014年のブラジルW杯に至るまで、W杯のみならず、U-17、U-20、オリンピックなどFIFAの主催大会で、審判たちの肉体のケアに尽力してきた。2006年にはFIFAの外郭団体、F-MARCからやってきたスイス人理学療法士マリオ・ビジーニという気の合う仲間も手に入れた。

「ミツ、ミツ」、FIFAの大会に参加する審判たちは、妻木のことを親しみと尊敬を込めてこう呼ぶ。彼に診てもらえれば、まるで嘘のように痛みが消え、関節の可動域が広がり、精神のバランスが元通りになる。

「FIFA主催の大会に呼ばれると、ああミツに診てもらえる、これでやっと身体が治るって、痛んだ身体で駆けつける審判の人も、けっこういると思いますよ。ここは君たちの治療院じゃないんだから、それじゃあ困るって、FIFAは言ってるんですけどね」(西村雄一)

大学院で得られた自信と確信

なぜだ?なぜ治っちゃうんだ?妻木が治療を施すと、あとには必ずこの質問が外国人の審判たちの口から飛び出してくる。その質問に答えるために(もちろんそれだけではないが)、妻木は2006年に順天堂大学夜間大学院に入学し、6年後には医学博士号も取得した。

「自分でもね、不思議だったし、今でも本当に不思議なんですよ。なんで治るんだろうって。あるいはなんでこんなに治らないんだろうって(笑)。大学院で実験してみると、確かに鍼を打つと可動域が広がったり、でも筋力はそのままの状態である、とか、具体的なデータが得られるんです。あれで、自分のやっていることにさらなる自信と確信が持てましたね」

人間の肉体の活動はブランコに乗っているような感じなのだ。と妻木は言う。体調がよければブランコは大きく力強いタイミングで揺れるが、調子が悪くなると揺れ幅は小さくなり、ときに左右が捩じれながら前後する。

「それを後ろからちょっと押してバランスを整えてあげるのが、我々の仕事なんじゃないかな」

<次のページへ続く>



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