スポーツチャレンジ賞
近藤篤 = 写真・文
Text&Photograph by Atsushi Kondo
1970年代の終わり頃、サッカーを好きになった。
最初は自分でボールを蹴ることに熱中し、自分の才能がさほど遠くまで辿り着けそうもないことを悟ると、自分よりもはるかに才能のある選手たちに憧れを抱くようになった。
日本代表は今と違って弱かった。当時の日本代表にどんな選手がいたのか、さほど多くの名前は思い出せないが、一つ覚えている顔がある。専門誌で見かける日本代表の集合写真の中、いつも隅っこに写っていたひょろっと背の高い人物だ。選手でもなく、監督でもコーチでもなさそうだ。いったいこの人は誰なんだ?キャプションには、妻木マッサー、と記されていた。
およそ35年後、僕はその人物を西葛西駅の近くにある東京メディカル・スポーツ専門学校に訪ねることになる。
妻木充法氏。静岡県生まれの62歳、医学博士であり、凄腕の鍼灸あん摩マッサージ指圧師であり、日本体育協会公認アスレチックトレーナーマスターである。
かつて元ドイツ代表選手ピエール・リトバルスキーは彼の両手を『マジックハンド』と称えた。その魔法の手は、サッカーの世界を舞台に、数え切れないほどの選手や審判の肉体を治してきた。
もともと若い頃からトレーナーの世界を目指していたわけではない。大学三年生で患った円錐角膜という難病、これがまず妻木さんを大学卒業後、鍼灸の世界へと進ませることになった。
三年後、当時内弟子として働いていたスポーツ治療院から1979年日本で開催された FIFA U-20ワールドカップに挑む日本代表の帯同トレーナーに抜擢。以後、日本代表チームのトレーナーを長期にわたって勤め(僕が見ていたのはこの頃の妻木さんだ)、Jリーグ誕生後はジェフユナイテッド千葉のチームトレーナーとして活躍した。
そして2006年、ジェフユナイテッド千葉を辞した妻木さんは、FIFAからの要請により、FIFAの開催する主要な大会でレフェリーたちのメディカルケアを担当するようになる。
日本独特の鍼灸治療を用い、世界の一流審判たちの肉体を癒す日本人トレーナー。サッカー界では知る人ぞ知る存在だったが、一般的には彼のことを知る人はごくわずかだった。
その妻木さんに、今年度、ヤマハ発動機スポーツ振興財団はスポットライトを当てた。「公正なジャッジを支える『鍼治療』の技術への評価」、実にユニークな視点だと思う。
実際のところ、現代サッカーにおけるレフェリーという職業は、相当な肉体の酷使を要求される。彼らは超一流のアスリートが90分間仕掛け続ける攻撃と守備を、同じスピードと運動量を維持しながら追いかけ、常に公正なジャッジを下さなければならない。
当然、大会が重要なものになればなるほど、主催者であるFIFAが審判たちに要求するレベルも高くなる。
例えばワールドカップを例にとると、大会に参加しているレフェリーは毎日およそ3時間のハードなトレーニングをこなす。ウォーミングアップから始まって、短距離と長距離のランがあり、正式なサイズのピッチを使って、実際に様々なプレーを再現し、審判のポジショニング、判定基準を統一する。
大会が進むにつれ、レフェリーたちの肉体は疲弊してゆき、フィジカルコンディションに狂いが生ずれば、その狂いは間違いなくホイッスルに影響する。100%の自信でジャッジを下せなくなる。
ゆえに、FIFA審判部にはメディカルスタッフが必要なのだ。彼らは審判たちの疲労を取り除き、傷んだ箇所があれば治療し、再び最高のフィジカルとメンタルでピッチに向かわせる。まさに、公正なジャッジを縁の下で支える人々、である。
妻木さんはそのメディカルスタッフの世界に、東洋的な治療法、鍼治療というものを持ち込んだ。
鍼という言葉に尻込みしていた外国のレフェリー達も、時間の経過とともに妻木さんの治療効果を徐々に理解してゆき、今では誰もが「ミツ、ミツ」と親しみを込めて妻木さんを呼び、その治療を進んで受けたがるようになった。中には、FIFAの大会に行けばミツに治療してもらえる、と勘違いしているレフェリーまでいるのだそうだ。
東京メディカル・スポーツ専門学校では、妻木さんの治療現場を実際に見せていただけた。しかもその日の治療相手は西村雄一氏、ブラジルW杯開幕戦で主審を担当した国際審判員である。西村氏は週に一度この治療院を訪れ、妻木さんの手で肉体の整備を行ってもらっている。
西村氏の治療はおよそ40分ほどで終わり、次は僕自身が妻木さんの治療を受けさせてもらうことになった。もちろん自分から言い出したわけではない。
「取材する以上、あなたも体験しておいたほうがいいんじゃないですか」
西村氏がそう切り出してくれたのだ。もちろん僕に断る理由はない。実を言うと、一年以上前にひどい捻挫で痛めた左足首にずっと悩まされている。
妻木さんはまず僕の左足首を触診しながら、けっこう悪いねえ、でもこういう方がやる気出てくるんだよね、と笑い、次に幾つかのツボに鍼を打った。すると20分も経たぬ間に、1年以上前から続いている左足首の痛みが嘘のように引いてゆく。
「不思議ですねえ!」と僕は感嘆の声を上げる。
「でしょ!?」と妻木さんが嬉しそうに言う。
なるほど、と僕は理解する。萩原さんとの対談で、夢はなんですか、と問われた時、妻木さんはこう答えた。図書館に行って本を借り、近所の喫茶店でゆっくり読書することです。
なんと慎ましやかな夢だろう、とその時は思ったが、妻木さんがこの魔法の手を持ち続ける限り(そしてその魔法は年々さらに力を増している)、美味しいコーヒーを啜りながら窓辺の席に腰掛けて、大好きな読書を楽しめる日はまだ当分やってこないに違いない。
結局のところ、妻木さんはその類まれなる才能で「公正なジャッジを支え続ける」べき人なのだ。
少なくとも一人のサッカーファンとして、僕はそう思う。
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