スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

妻木充法
FOCUS
MITSUNORI TSUMAKI
妻木充法の足跡

「淡々と、人を、癒す」

『妻木先生は絶対に「無理」って言わない』

妻木さんと出会ったのは2006年の末、FIFA開催の世界クラブW杯のときでした。

その頃の私は、たとえ1%でも自分の身体に不調を感じながらレフェリングをするのは、選手にとって失礼だと確信し始めていたんです。でも現実には、どこか故障しては治し、笛を吹き、そしてまた故障して治す、ということを繰り返していました。

もともとくすぐったがりやで、マッサージ治療が苦手だったというのもありますが、私には妻木先生と針治療の組み合わせがぴったりとはまりました。妻木先生の治療を初めて受けたとき、あ、これだなって納得したんです。それからは、故障しないために予め整える、というリズムが生まれました。

とは言え、先生の治療にはこれまで何度も助けられています。例えば2010年、ACL予選の試合後、私は判定を不服に思ったウズベキスタンのクラブの通訳に、突然後ろから右ふくらはぎを蹴られました。診断結果は肉離れ、車いすに乗って足を一歩もつかないで帰国しなきゃいけないというような状態で、本当に困りました。

なぜなら私には、その2週間後、W杯前に審判を対象にした体力測定が控えていたんです。この測定で候補にあがっている審判員はフィジカルテストを受け、タイトに設定されたランニングタイムをクリアしていかなければ、W杯には参加できません。

あの時も妻木先生の治療のおかげで乗り越えられました。妻木先生はどんなときでも絶対に「無理」って言わないんですね。バイデジタルOリングテストを用いて、ミリ単位のツボを探り当てて針治療を続けながら、「大丈夫だよ、気にするな」って、こちらのフィジカルだけでなくメンタルも含めて治していくんです。

その結果、私は奇跡的にそのテストをクリアできました。テストのあと先生に、まだすごく痛いんです、と訴えたら、そりゃ痛いに決まってるよ、まだ治ってないんだから、っておっしゃってましたけど(笑)。
(プロフェッショナルレフェリー 西村雄一)

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