スポーツチャレンジ賞

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Scrum Unison(スクラムユニゾン)

スクラムユニゾンの存在すら知らなかった

写真提供:スクラムユニゾン

参加20カ国全ての国歌を撮り終えたのは5月上旬だった。

スクラムユニゾンの活動は少しずつピッチを上げてゆく。まず、4月の時点で撮り終えていた映像を少しずつYouTubeにアップし始め、世間での認知度を高めてゆき、ラグビー関係のイベント、トークショーやラグビースクールに招待された際には、スクラムユニゾンの取り組みを伝え、そのまま現地に集まった人たちとどこかの国の国歌を練習した。

もちろん最初から全てがうまくゆくわけもない。

じゃあみなさんニュージーランドの国歌を歌いましょう、とステージの上から語りかけても、人は、特にこの国の人は、そう簡単に歌い始めてはくれない。

しかもみんな基本的に外国語は苦手ときている。

プロモーションのイベントにはメンバーが複数で出かけることもあれば、一人で参加することもあった。会場のノリが悪くても、そばに仲間がいればお互いに励まし合い、笑いあえる時間もある。きつかったのは一人きりで現場を仕切らなければならない時だった。

写真提供:スクラムユニゾン

5月の終わり、神奈川県海老名市の駅前で、田中美里は会場に集まった人々を相手に一人で奮闘していた。

彼女が参加したのは、海老名市がなんとかラグビー人気を盛り上げようと催したイベントだった(海老名市はロシア代表のキャンプ地として決まっていた)。

スクラムユニゾンが一体何を仕掛けようとしているのか、人々はまだ何も知らない。しかもいざ始まってみると、ロシア語の歌!そう簡単に物事が運ぶわけはない。おまけに当日は現場で音響関係のトラブルまで発生した。全く動揺しなかったといえば嘘になるが、田中は逆にここで腹を括った。

「どこでもなんでも歌って、みんなに教える。どんな場所もホームなんだ!って、謎のやる気がみなぎりましたね」

一方の村田は6月中旬、映像担当の橘田とともに参加した品川でのイベントで切ない思いを体験した。当日会場ではタッチラグビーの普及イベントが行われていた(もちろんこれもラグビー熱を盛り上げるために活動の一環だ)。村田はその場を借りて、イベント参加者とともにニュージーランド国歌を一緒に歌う、はずだったのだが、反応はほぼ皆無。集まった参加者たちはさっきまでプレーしていたタッチラグビーでクタクタ、しかも海老名同様ここでもほとんどの人々はスクラムユニゾンの存在すら知らなかった。

写真提供:スクラムユニゾン

「あれはさすがにきつかったです。通常ステージに上がって歌うとき、僕はいつも誰のために、なんのために歌っているのか、を考えるのですが、そこがまるで無いわけです。なんだかデビューする前の若手が、街頭でみかん箱の上に立って歌っているような感じでしたね」

考えてみれば、スクラムユニゾンとしてオフィシャルにスタートを切ったのは、1ヶ月前に神奈川県横浜市のセンター北で行われたキックオフイベント。さすがに知名度が低いのは仕方がなかった。

そこから大会までのほぼ3ヶ月、スクラムユニゾンのメンバーたちは各々自分本来の仕事をこなしながら、時間の許す限りチームの活動に参加しては、どこかの街角で人々に何カ国かの国歌をレクチャーし、あるいはラジオで自分たちの活動のことを話し、SNSで発信し、自分たちのプロジェクトを一歩一歩前に進めていった。

<次のページへ続く>



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