スポーツチャレンジ賞
2019年の7月26日だった。
僕は翌日に行われる日本代表対フィジー代表の試合の撮影のために岩手県の釜石市にいた。その試合は2ヶ月後に迫ったラグビーワールドカップ2019日本大会に向けての重要なテストマッチだった。
その日の午後、ワールドカップ招致のため新たに建設された釜石鵜住居復興スタジアムを取材撮影したのち、僕は町の中心部にあるショッピングセンターに足を運び、2階にあるファストフードの店でコーヒーを買った。
店の斜め向かいには催事場があり、そこでは会場に集まった百人足らずのギャラリー、試合観戦のために他県からやってきたラグビーファンや地元釜石の人々に向けてのイベントが行われていた。
じゃあみなさん、ここからはウルグアイ国歌を練習していきましょう!
え?ウルグアイ国歌を釜石で、しかも日本人が歌う?
進行役の男女はどちらもとても感じの良い人物で、彼らは予め参加者に配布してあったカタカナ表記のウルグアイ国歌の歌詞カードを使い、ピアノの伴奏とともに一小節ずつ歌っては参加者とともに復唱し、少しずつ先へと進んでいった。
僕はそのイベントの意図がうまく飲み込めないまま、しかしなんだか興味を惹かれてしばらく様子を眺めていた。
二人は自分たちのことを、スクラムユニゾン、と自己紹介した。
どうやら彼らは、ワールドカップのために世界中からやってくるラグビーファンを歓迎するために参加国の国歌をみんなで歌えるようになりましょう、そんな活動をしているらしかった。
それからほぼ8ヶ月。2020年3月12日、ヤマハ発動機スポーツ振興財団は今年のスポーツチャレンジ賞奨励賞はスクラムユニゾンに決まった、というニュースをリリースした。
新型コロナウイルス。その予期せぬ出来事によって、2月中旬から世の中は急激に動揺し始め、4月になると様々な社会活動がほぼ停止してしまった。
もちろんスポーツも例外とはなり得なかった。
高校総体、甲子園、毎年恒例の慣れ親しんだスポーツイベントは次々に中止されていった。
プロスポーツもしかり。野球、サッカー、ラグビー・・・ウイークデー、週末、たくさんの人々がお気に入りのチームを応援すべく足を運んでいた競技場やスタジアムは、人の気配すらしないただの強大なコンクリートの塊と化してしまった。
そんな状況の中、スクラムユニゾンの受賞の知らせは、スポーツに関する数少ないポジティブなニュースの一つだった。
ラグビーワールドカップ2019日本大会、それは2ヶ月にわたる幸福の記憶だ。僕自身フォトグラファーとして大会を取材させてもらったが、大会の運営も、スタンドの雰囲気も、入場者数も、好ゲームの多さも、そして日本代表の快進撃も、すべてが完璧だった。大げさではなく、どこが勝ってもどこが負けても誰もが幸せそうに微笑み、大きな拍手を互いに贈り合っていた。
しかし、この大成功は開幕前からあらかじめ約束されていたものではない。むしろ、様々なプロモーションにもかかわらず、なかなか世間はこの四年に一度の楕円球の祭典に強い関心を示してくれなかった。本当に大丈夫なんだろうか?表立っては言えないけれど、小さな声でささやき合う関係者は多かった。
これはなんとしても盛り上げなあかんやろ。
スクラムユニゾンは元ラグビー日本代表選手でもある廣瀬俊朗のひらめきから始まり、そこに二人のミュージシャンと一人のコピーライター、二人の映像クリエイターと一人のビジネスウーマンが加わった。
他国の国歌をみんなで歌ってもてなす?
聞いたこともない他言語の歌をそんなに簡単に歌えるんだろうか?
だいいち、そんなことで果たして盛り上がるのか?
心配は無用だった。
事前キャンプ地としてウェールズ代表を迎えた北九州の人々は、ウェールズ国歌を歌って初練習に登場したチームを出迎えた。
岩手県の沿岸部にある小さな町の人々は、地球の裏側にある人口345万人の国ウルグアイの代表とともにその国歌を歌いきった。
まるで映画の中のワンシーンのような出来事が、日本のあちこちで起こっていった。
スクラムユニゾンが配布する歌詞カードを手に、たくさんの人々がスタジアムの中でも外でも、初めて出会った人とともに声を限りに歌い、応援し、勝利を喜び、敗北を悲しみ、そしてゲームが終わればお互いの健闘を心から称え合いながら、ビールを酌み交わしていた。
2020年7月初旬、正確に記すと7月3日、それがこの原稿を書いている日付である。
世界はほんの少しだけ落ち着きを取り戻し、スポーツもまた再び日常の中へと戻りつつある。
スクラムユニゾンによって配られた歌詞カードを手に、行ったこともない国の歌を、何千、何万の人々とともに声をあげて歌う、それがどれほど尊い時間だったのかを、僕は今あらためて感じている。
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