障害者アスリートのメディカルサポート環境を拡充する取り組み
国立呉病院付属リハビリテーション学院を卒業後、理学療法士の資格を取得。勤務先の医療法人社団朋和会西広島リハビリテーション病院でプロ野球新入団選手のフィジカルチェックや実業団陸上部のサポートを担当し、アスレティックトレーナーとしての第一歩を踏み出した。また、地域の身体障害者スポーツセンターで障害者スポーツとの接点が生まれ、それをきっかけに2000年に開かれた車いすテニスの国際大会に日本代表チーム初のトレーナーとして派遣された。この大会では、車いす使用者にとって「手は足でもあり手でもある」ことを実感するとともに、宿舎と試合会場の移動などにも十分な配慮が必要なこと、また健常者と共通する動きや異なる動きなど、障害者アスリートのサポートに必要なさまざまな要件を発見した。
初めて本部トレーナーとして帯同したパラリンピックアテネ大会では、各競技の特性や各国選手のコンディショニング手法等を視察する計画だったが、たった一人で多数の選手のケアに追われ、選手村から離れることができず目的を果たせなかった。帰国後、ゴールボールや陸上、シッティングバレー、水泳、アーチェリー等の国内大会等への自主的な視察を繰り返し、各競技やアスリートへの理解を深めていったことが、その後のパラリンピックでの24時間対応のトレーナーブースや酸素カプセルの導入など、各種実効性の高いサポート施策の実現につながっている。
2012年パラリンピックロンドン大会に向けて、「外国チームの速く重く強いボールに対応したディフェンス」をテーマに掲げた女子ゴールボールチームのフィジカルトレーニングを指導。決勝戦は初めて会場で応援し、パラリンピック団体種目としては日本初の金メダル獲得の瞬間に立ち会ったことが「一番の思い出」と話す。
現在は日本障がい者スポーツ協会トレーナー部会部会長として本部トレーナーの派遣や現地でのコーディネイトを行うほか、各競技団体との連携・相談窓口としても活躍する。門田氏が創設に携わった障がい者スポーツトレーナー制度の有資格者は、2014年度までに97人。2020年パラリンピック東京大会までに200人の登録をめざす。
門田正久理学療法士、日本体育協会公認アスレティックトレーナー、日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツトレーナー、介護予防主任運動指導員
2000年にフランスで開かれた車いすテニスの国際大会ワールドチームカップに、日本代表チームのトレーナーとして帯同。以来、理学療法士としての知識と経験、アスレティックトレーナーとしての幅広い現場経験を背景に、障害者スポーツトレーナーの第一人者としてリーダーシップをふるう。パラリンピックには2004年アテネ大会にたった一人の本部トレーナーとして帯同。山積する課題を持ち帰り、帰国後は障害者スポーツトレーナーの育成や環境整備に奔走した。この結果、2008年北京大会では2人、2012年ロンドン大会では4人の本部トレーナーが日本選手の活躍をサポートした(いずれも門田氏を含む)。また、日本障がい者スポーツ協会の医学委員会、技術委員会とともに取り組んだ障がい者スポーツトレーナー制度の創設(2008年)や、各競技団体のトレーナーとの連携も門田氏の功績の一つ。現在は大会を終えた後の継続的なサポートをめざして、地域の障害者スポーツトレーナーの育成・体系化に取り組んでいる。