財団法人日本サッカー協会 参与の髙田静夫さんが功労賞、アイススレッジホッケー日本代表チーム 監督の中北浩仁さん、北海道ハイテクAC 監督の中村 宏之さんが奨励賞を受賞
功労賞 髙田静夫さん
受賞理由
日本人審判員の育成をめざした各種制度の確立と運用
1980~90年代にかけて日本を代表するサッカー審判員として活躍した後、「世界トップレベルで活躍する日本人審判員の育成」と「審判員の裾野の拡大」に取り組み、その基盤となる体系づくりに尽力した。具体的には「SR(スペシャル・レフェリー)制度」導入(2002年)によるレフェリーのプロ化をはじめ、30歳前後で日本のトップレフェリーとして活躍する人材の育成をめざした「JFAレフェリーカレッジ」の設立(2004年)等に尽力した。さらに地域の審判員のレベルアップや優秀な人材の早期発掘を目的とした「審判トレーニングセンター(地域トレセン)制度」の立ち上げ時(2007年)より、ダイレクターとして審判員並びに審判インストラクターの指導にあたっている。こうした実効性の高い各種制度の確立と運用により、岡田正義氏、上川徹氏、西村雄一氏ら、世界トップレベルで活躍する日本人審判員を継続して輩出することに成功した。2010年ワールドカップ南アフリカ大会では西村氏ら日本人審判が準々決勝を含む4試合を担当し、また2010年クラブワールドカップ決勝では西村氏を含む日本人審判が主審・副審を担当した。一方、レフェリーカレッジの卒業生がJ1リーグを担当するなど若手の育成も進んでおり、質の向上と量の安定という2点において、高田氏が取り組んだ日本人審判員育成の基盤・体系づくりが大きな実を結んでいる。
受賞のコメント
このたびは、栄えある賞をいただきまして誠にありがとうございます。
私は1998年から2006年まで日本サッカー協会審判委員会で委員長を務めさせていただきましたが、この時期に「21世紀のレフェリー改革アクションプラン」という活動計画を企画立案し、その運用に取り組んでまいりました。当時は先輩方や審判仲間など私を支えてくださる優秀な人材がたくさんおりまして、そうした人々によるアイデアや推進力などに助けていただきながら、審判員を取巻く環境の改善や審判員のレベルアップに取り組んできたわけです。日本サッカーの変革期、そして成長期とも言えた時期に、こうした時の要となる方々に支えていただけたことは本当にありがたいことでした。
具体的には、①(審判員の)指導者を育てる、②世界に通用する審判員を育てる、そしてそれらの質を高めるために③映像や通信システムを用いた技術向上などに力を注いでまいりました。皆様もご存知のように、近年、こうした取り組みが少しずつ成果を生み始め、多くの審判員が国内で、そして国際舞台で活躍しております。
最後になりますが、普段はスポットライトを浴びることが少ない審判員と、それらを取巻く取り組みに対して、このような賞をいただけましたことをとてもありがたく感じると同時に、その重みも実感しています。これからも、本当に小さな力でしかないのですが、がんばっている審判員たちのために尽力させていただければと思っております。
奨励賞 中北浩仁さん
受賞理由
強化システムの大改革で日本初のメダル獲得にチャレンジ
パラリンピック2大会連続で5位に終わった日本チームのメダル獲得を託され、ソルトレーク大会の終了直後に日本代表の監督に就任。選手の意識改革や、後ろ向き滑走をはじめとする個人技術の向上、さらに健常者アイスホッケーの戦術等を積極的に採り入れながら世界と戦うための土台づくりに着手した。2006年トリノパラリンピックでは決勝トーナメント進出を逃し5位に終わったが、勤務先である日立製作所に熱心なプレゼンテーションを繰り返し、その結果、日立グループ16社からの強化支援資金提供を実現した。これによりさらに強化を加速させ、強豪国への遠征を含む年間20〜25試合もの国際試合のマッチメークや、主力選手の海外への武者修行を実現させながら、会社員としての業務の合間を縫って各国の競技団体との外交ルートを築き、積極的な情報収集にも当たった。2010年バンクーバーパラリンピックでは、チェコと韓国を連破して決勝トーナメントに進出。準決勝では地元カナダを破る快挙を成し遂げ、銀メダルを獲得した(決勝戦はアメリカに敗戦)。2014年ソチパラリンピックでは、「世界ランキング1位のアメリカを決勝で倒して金メダル獲得」をめざす。
受賞のコメント
本日は名誉ある賞をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
私たちのチャレンジは、トリノオリンピックで5位という悔しい気持ちからのスタートだったのですが、そこから何とか勝てるチームにしたいとがんばってきて、やっと銀メダルというところまできました。ここまでたどり着くには選手たちはもちろん、彼らを支える家族や職場の皆さんまで、多くの人々がかかわっています。銀メダルという成果を生み出すにあたって、それをサポートしてくださったすべての方々にあらためてお礼を申し上げたいと思います。
私自身はアイスホッケーのプロをめざして若い頃から海外でチャレンジをしてきましたが、膝の怪我により選手としての夢はあきらめざるを得ませんでした。その後は社業に打ち込んできたわけですが、こうした経歴の監督を指導者として受け入れてくれた選手たちには感謝の気持ちしかありません。アイスホッケーとアイススレッジホッケー、健常者と障がい者、その常識の違いを認識するまでに私も5年という時間を要しましたが、そのギャップを彼らとともに埋めながら銀メダルまではきました。
私は2014年に開催されるソチオリンピックまで監督を続けさせていただきます。今回の受賞はその励みにもなるもので、もちろん次回は金メダル獲得にチャレンジします。そのためにはまだまだ課題もあるのですが、選手たちとともに一つずつそれらを乗り越えていき、皆様に良い報告ができるようがんばってまいります。
本日は誠にありがとうございました。
奨励賞 中村宏之さん
受賞理由
雪国から世界をめざすトレーニングの独自開発と実践
高校陸上部の指導者として経験を積み重ねた後、クラブチームである北海道ハイテクACの設立に携わり、監督に就任。雪国である北海道で冬季に神経/筋肉系のトレーニングを実践するために、自ら130m×5レーンのインドアスタジアムの基本設計を行ない、母体である北海道ハイテクノロジー専門学校の支援により日本初の陸上競技室内練習場の建設を実現した。また、常識にとらわれない柔軟な発想で、リハビリテーション機器を転用した体幹トレーニングの開発や、フレキシブル・ミニハードルなど独自のトレーニング機材の開発等も手掛け、常にトレーニング法を進化させながら「北海道から世界へ」をスローガンにトップアスリートの指導に当たっている。アスリートの個性や自主性を重んじた独自の指導ノウハウにより、寺田明日香選手が全日本選手権の100mハードルで3連覇を飾ったほか、2010年アジア競技大会の女子陸上100m/200mで福島千里選手が2つの金メダルを獲得するなど成果を挙げた。日本女子短距離の底上げを図りながら、自ら「指導者としての総決算」と位置づける2016年リオデジャネイロ五輪では、「日本人初の女子100m決勝進出」と、福島選手、北風選手、寺田選手らによる「女子4×100mリレー決勝進出」をめざす。
受賞のコメント
この度は、日頃、賞というものにあまり縁のない私にこのような名誉ある賞をいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
私が生まれ育った「北国・雪国」という環境はハンディキャップではなく、むしろ今の自分を育て、発想を豊かにしてくれるものでした。今、そのことに幸せを感じています。
冬期間、閉ざされた月日には、いつも遊び心があり、遊びが心も身体もフレッシュな気持ちにさせ、次の活力が生み出されてきました。
“トレーニングに「これ」といったトレーニングはなし”
女子短距離のトップ選手が北海道から生まれたことは、ある意味、陸上界におけるひとつのヒントが隠されているのではないかと思います。
私は指導するにあたって、簡単なことを難しく考えるのではなく、難しいことをやさしく、シンプルに教えることをモットーとしています。
毎年、新たな歴史にチャレンジできることの喜びを感じつつ、前進したいと考えています。
ありがとうございました。