スポーツチャレンジ賞
荒井が思い描くその先の光景
長野に向けた代表ヘッドコーチと監督就任から数えて23年。荒井はこの長い時間の多くを日本パラノルディックスキー競技の環境の改善と発展に費やしてきた。競技面でのより科学的なアプローチはもちろんのこと、選手たちの仕事先も自らのコネクションで探すこともあった。江東区職員だった時代は、有給休暇の全てを使って大会に参加し、援助を依頼するために見知らぬ会社を訪問した。あるいは、新しい力の発掘、育成にも心血を注いできた。
コンビニの中で、道端で、あるいは道の駅で、身体に障害がある、しかし運動能力の高そうな若者を見かけるたび、君、パラリンピックを目指してみないか、と躊躇なく声をかけ続けてきた。そしてそのうちの何人かは数年後、実際にパラリンピアンとして日本を代表する選手となっていった。
何がそうさせるのか?その問いに対する荒井の答えはいたってシンプルだ。
だって、面白いじゃないですか。
加えて、その面白さの向こうには、荒井の思い描く一つの光景が広がっている。
それは彼の生まれ育った北海道が、冬季パラスポーツのメッカになっているという光景だ。
周知の通り、札幌はすでに2030年の冬季オリンピック・パラリンピックの招致に向けて動いている。しかし荒井のイメージはそういう誰もが知っているような国際大会だけにはとどまらない。
「オリンピックだけでも、パラリンピックだけでもないんですよ。例えばドイツでは人口三千人の村で世界選手権が開催されます。選手たちの宿泊は民泊、それぞれの家族が一階は選手たちに解放し、自分たちは二階で過ごす。そんな大会の運営の仕方もあれば、カナダのプリンスジョージで行われた世界選手権では、人口7万の街でボランティアの数がなんと千人もいました!そういうことが起きる世界って、本当に素敵な場所だとは思いませんか?」
荒井は、でもそれは決して異国の話ではないのだ、と付け加える。
「見ててくださいよ。10年後、北海道は必ずそうなりますから。パラならやっぱり北海道だよね、って世界中の人がやってくるようになりますから。そういえば、10年前に荒井が言ってたな、って思い出しますから。寒く厳しい冬をともに乗り越えて、自分たちの土地を少しずつ築いてきた、ここには本当の意味での「共生」という価値観が存在しますから」
荒井秀樹の情熱はさらにその磁力を増し、より多くの人々の心をひきつけ、この国におけるパラノルディックスキーを次なるステージへと導いてゆくに違いない。
<了>
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