第5回 YMFSスポーツ・チャレンジャーズ・ミーティング

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基調講演

日時 3月16日(金) 9:30〜9:50
講演者 浅見 俊雄氏
公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団 理事・スポーツチャレンジ助成 審査委員長、東京大学・日本体育大学名誉教授、日本サッカー協会顧問
演題 「スポーツ」ってなんだろう
討論概要 昨年夏に制定、施行された「スポーツ基本法」は「スポーツは世界共通の人類の文化である」と格調高く始まり、続いてスポーツを「心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵養等のために、個人または集団で行われる競技その他の身体活動」と規定している。
その他とか等とあるから、目的も行為ももっと幅広い活動を指すのだろうが、これでスポーツの全体像を理解することはできないであろう。
また、日本では「日本体育協会」、「国民体育大会」、「体育の日」など、体育がスポーツの同義語のように使われている。運動という言葉もスポーツとどう区別されるのかよくわからない。
私もそうだが、スポーツという言葉を当たり前のように使っているのに、改めてスポーツって何なのかと問われると、何となくこんなものということはできても、きちんと定義することは難しい。
この講演でその答えを出そうとは全く思っていない。スポーツを対象として体験や研究でチャレンジをしている皆さんとともに、スポーツをいろいろな側面から眺め、考えることによって、私も皆さんも、スポーツの本質に少しでも近づくことができればと思っている。

演題:「スポーツ」ってなんだろう?

スポーツの語源はラテン語の“disportare”

きょうは「スポーツってなんだろう?」をテーマに講演を進めていきたいと思います。そんなこと分かりきっているじゃないかと思うかもしれませんが、いろいろな角度から眺めるという手法で、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

まずお断りしておきますが、「スポーツってなんだろう?」という問いに対して、きょうこの場で答えを出そうとは考えていません。この時間を使って考え、またその課題を持ち帰り、それぞれ続きを考えてもらえればと思っています。

手はじめに「スポーツ」という言葉から考えてみます。

“sport”は英語ですが、もともとは古代ラテン語の“disportare”に由来します。それが古代のフランスで“disport”、中世英語で“disport”“desport”となり、その接頭語が省略されて“sport”になったといわれています。

研究者にとって非常に大切な“discover”は、“cover”=覆ってあるものが取れる(dis)、するとそこに発見があるということと同じように、「運ぶ」を意味する“port”、要するに労働、その労働から離れる(dis)、または日常の世界から非日常の世界に行くというのが“disport”というわけです。つまり“sport”は「遊ぶ」、「気晴らし」という意味を表しているということです。

sportはラテン語のdisportareに由来。古代仏語を経て中世英語のdisportに。dis(離れる)、port(運ぶ、労働)→労働でない行為→遊び、気晴らしdisが省略されて sportに

広辞苑には、当たり前のことしか書いてありません。陸上競技、野球、水泳、ボート・レースなどから登山、狩猟などにいたるまで、遊戯、競争、肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称、と。

言葉からスポーツを定義するとこういうことになります。


スポーツの起源から、近代スポーツの発祥まで

人間は、かなり古くからスポーツに近いものを行っていたようです。たとえば、4000年前の中国でサッカーに近いことが行われていたという記録が残っています。また古代エジプトの壁画や陶器には、走っている絵やダンスをしている絵がありますが、そうしたところにスポーツの起源をみることができます。

一方古代ギリシャに目を移すと、イーリアスという詩に古代オリンピックの描写が見られます。戦車競技やボクシング、レスリング、徒競走、円盤投げ、やり投げなどがこの詩の中で書かれていますが、要するにこれらは戦争、闘争の中で使われる身体技術なのです。戦いや殺し合いがスポーツのもとにあって、それが競技へと発展した。つまりこれがスポーツの起源になるものが多くみられます。

またスポーツには、宗教儀式や祭礼の中で行われていたものに起源を求めることができます。たとえば古代オリンピックはゼウスの神に捧げられるものであったわけですし、日本の相撲もその典型的な例と言えます。ゼウスに捧げるオリンピア祭やネメア祭をはじめ、アポロンに捧げるピュティア祭、ポセイドンに捧げるイストミア祭。その中で最も長く続いたのがオリンピア祭で、紀元前776年から紀元393年まで、4年ごとに293回、1150年ほど続けられました。

古代ギリシャでは、スポーツ(ギムナスティケ)が学術、芸術とともに、理想的な人間形成にとって重要なものと考えられていました。ですからプラトンのような哲学者も、イストミア祭に選手として参加していたのです。つまり人間の理想の姿としてスポーツをする場面があったわけです。

ところが、支配階級の人たちが、奴隷をはじめ専門化した選手に競技をさせるようになって、これが見せ物と化して、ついには廃れてしまうということになるわけです。さらにローマ時代に入ると、ゼウスの信仰は異教となりますから、それを理由に古代オリンピックは禁止をされてしまうのです。その後、ローマはオリンピア祭の悪い面だけを受け継いで、大きなコロシアムで職業的な戦士同士による闘争や、人間と野獣の争いを行うようになりました。スポーツの理念というものが完全に失われてしまったのです。

このようなあり方を見て、「昔の古代オリンピックの思想は良かった」と嘆いたのが吟遊詩人のユベナリスでした。彼は「健全なる精神は健全なる肉体に宿れかし」と願ったのですが、この言葉は多少変容して、現在は「健全な精神は健全な肉体に宿る」と伝えられています。しかし、肉体さえ鍛えれば健全な精神ができるということではありません。その両方を目指すのが理想的であるという、またそうした価値観に戻りたいと彼は願ったわけです。

やがて中世期の禁欲的なキリスト教の時代に入り、肉体的な競技のようなものは蔑まれるようになります。しかしそうした中でも、庶民・大衆レベルでも支配階級にも近代スポーツの芽が出はじめて、テニスやサッカーのもととなるものなどが生まれました。そして宗教改革、ルネッサンスを経て教育の中にもスポーツが取り入れられるようになり、イギリスで近代スポーツが誕生してくるわけです。

さらに近代スポーツがアメリカに渡って、アメリカナイズされる。要するに、脱ヨーロッパを志向することで、たとえばサッカーやラグビーがアメリカンフットボールに変わり、クリケットが野球になる。またアメリカンフットボールを室内でもできるようにとバスケットボールが生まれ、室内版テニスとしてバレーボールが生まれました。

イギリスとアメリカの主な違いの例を挙げると、紳士のスポーツとして発展したイギリスでは「こういう約束事で始めたのだから」という理由で選手交代がありませんでした。一方のアメリカは「なるべく良い状態でプレーしよう」という考え方で、選手交代が当たり前のように行われました。このように地域によってそれぞれ違いはあるものの、いずれにせよ近代スポーツが出現し、そして世界に広がっていったのです。

また、近代スポーツが世界に広がると同時に、質も高まっていきます。この時期、古代オリンピックの理念や思想に共鳴したクーベルタンが、良き時代の古代オリンピックを復活させようと立ち上がって、1896年に近代オリンピックがスタートします。これまで戦争で4回ほど中止されていますが、今年のロンドン五輪でちょうど30回目。以来、近代オリンピックがスポーツのモデル的な競技会となっています。

しかし、古代オリンピックがプロフェッショナル化したことによって衰退した歴史があり、アマチュアリズムが極端に尊ばれる一方で、プロは堕落であるとも言われました。たとえば、昭和30年に制定された「スポーツマン綱領」には「プロスポーツはビジネスでスポーツではない。プロ選手は労働者だ」とはっきり書いてあるのです。もちろん、今では全く認識は変わりましたが、かつては世界も日本もそれくらいアマチュアに固執していたわけです。


さまざまな観点から「スポーツの範囲」を考える

では、「スポーツってなんだろう」ということを、いくつか要素を挙げながら考えてみたいと思います。

まずは、遊び・遊戯。“Disport”という言葉が表すように、遊戯性を基本に考えることが自然でしょう。それから、競技性・競争性。競う以上、相手よりも優位にならないといけませんから、競技者はいろいろなトレーニングをすることになります。トレーニングによって、心技体を高めるわけです。

また、スポーツとして認知されるためには、歴史も重要な要素になります。あるスポーツが急に生まれて「これはスポーツだ」と主張しても、時間の経過の中で社会に認められる証しができないと難しい。同じように成文化されたルールが広く承認されているということも重要です。また組織化されているということも要素に入るでしょう。

では、これらの要素をもとにしてスポーツの範囲について考えていきます。

まず、勝敗のないスポーツはあり得るか。ジョギングやウォーキング、これらはスポーツかどうか。また、ゲレンデで楽しむスキーやプールで楽しむ水泳という行為にも競争はありません。遊びであり、身体を使い、歴史があって、ルールの代わりにマナーというものがありますが、勝敗だけがないのです。

プロはどうか。プロであっても、遊びであり、身体を使い、歴史があって、ルールも組織もある。それに伴ってお金が入るか入らないか。その違いがあるだけです。

また、モータースポーツはどうでしょう。皆さんの中には「あれは機械の動力がやっているじゃないか」と考える人がいるかもしれませんが、その機械をどのように操るかというのが勝負のポイントであり、それは人間の身体がやっているわけです。少なくとも運転者にとってその操作は重労働です。

芸術とスポーツの境界線も難しい問題です。フィギュアスケートや体操、舞踊、これらのどこまでがスポーツで、どこからが芸術なのか。

さらに、知的ゲームと言われるチェスや将棋、囲碁、それにカードゲーム。そういうものがスポーツと呼べるのか、そうではないのか。現に囲碁はアジア大会の競技種目に入り、囲碁の選手もドーピング検査の対象になりました。また、ヨーロッパでは古くからチェスがスポーツの範囲に入っています。これらは身体運動の要素はごくわずかしかありませんが、百人一首はどうなのか。あれは激しい動作を伴うものです。

最近では、ITを使ったeスポーツの世界大会も開かれています。見た目には身体性がほとんど求められないようでいて、じつは器用に指を使ったりする。間違いなく身体を使っています。

ところで、最近「スポーツは文化である」ということが盛んに言われるようになりました。しかし、もともと人間が作り出して共通に持っているものはすべて文化といえます。何も学術や芸術だけが尊い文化ではなく、スポーツも以前から大衆的な文化であったものです。ギャンブルさえ文化と言えると思います。

ところが日本では、以前からおかしな使われ方がされてきました。学校の文化部にスポーツが入っていますか? それは運動部です。昨年、スポーツ基本法が出ましたが、その冒頭には「スポーツは世界共通の文化である」ということがあらためて述べられているのに対し、平成13年に出た文化芸術振興基本法には「芸術は文化である」などという書き出しはありません。

これまでに文化勲章を受章された394人のうち、スポーツでの受賞者は平沼亮三さんと古橋広之進さんの2人だけ。その一方で、芸術の一分野である歌舞伎界からは15人もの受章者が出ています。文化功労章はスポーツ関連で8人の受章者がいるのですが、歌舞伎は15人です。いずれにしてもスポーツマンが文化とつく賞の対象になった例は少ないのです。

近頃、スポーツ庁を設置するという話も出てきました。文化庁というものがすでに独立して存在していますが、スポーツ行政は文科省が中心に行っていて、その一方で障害者のスポーツは厚生労働省が管轄しています。ラジオ体操は郵政省で始まって今は総務省、運動公園の建設は国土交通省。バラバラで行われているそうしたスポーツ行政をスポーツ庁にまとめるという方向で話が進んでいるようですが、さてどうなるか。

また、日本ではスポーツと体育、これが混同されて使われています。なにしろスポーツの総元締めが日本体育協会、英語表記ではJapan Sports Associationとなります。それから体育の日というのがありますが、英語ではSports Day。さらに日本体育大学はNippon Sports Science Universityで、鹿屋体育大学はNational Institute of Fitness and Sports in Kanoyaと表記されます。本来、体育というのならphysical educationと表記されるべきでしょう。

要するに、体育をスポーツの代わりとして使っている場合があるのです。体育は学校教育の中でやる教科と整理して、スポーツはもっと広くとらえたらどうかと私自身は考えています。

さて、最初に申し上げたとおり「スポーツってなんだろう」という演題に対し、きょうはその答えを出していません。それぞれがスポーツを考えることに、積極的にチャレンジしていただきたいというのが基調講演の主な目的です。答えは皆さんが自分で出して、自分なりのスポーツ観を持ってください。長くなりましたが、以上です。


講演者

基調講演
プロフィール

浅見 俊雄(あさみ としお)
公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団 理事・スポーツチャレンジ助成 審査委員長
東京大学・日本体育大学名誉教授、日本サッカー協会顧問

県立浦和高校でサッカー全国高校選手権大会優勝、東京大学では第1回サッカー全国大学選手権大会優勝など。卒業後はサッカーの審判員資格を取得、1959年に日本サッカー協会一級審判員、1961年に国際審判員。引退後はJFA審判委員長(1993年からはJリーグ審判委員長兼任)、中央教育審議会委員、国立スポーツ科学センター(JISS)センター長、アジアサッカー連盟 審判委員会・規律委員会副委員長などを歴任。