スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 戦略広報部
FOCUS
THE TOKYO 2020 BID COMMITTEE COMMUNICATIONS DEPARTMENT
東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 戦略広報部の足跡

もしそこに彼らの力なかりせば

そして2020年、世紀の祭典は東京へとやってくる

2013年9月、ミッションを遂げた戦略広報部は静かに解散し、スポーツがもたらす夢と力を信じて、日夜都庁の41階で働き続けた10人は、それぞれが次の行き先へと去っていった。元いた企業へ戻ったもの、あるいは新しい職場へと移ったもの。

水野正人CEOは再びミズノの会長職に復職し、2020年五輪の大成功をイメージしつつ、日本のスポーツの更なる発展に日々尽力し続けている。

戦略広報部 部長 鈴木德昭は日本サッカー協会に戻り、彼が愛してやまない日本サッカーのさらなる発展と強化に視線を据えている。

そして、戦略広報部の中核を担い、2年間、たぶん誰よりも走り続けた髙谷正哲は、新しい職場を東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 広報局 戦略広報部に見つけた。

長くハードな2年間が過ぎ、しばらくまた海外で違う角度からオリンピック・パラリンピックに携わる仕事を、という願望がなかったわけではない。しかし、最終的に髙谷が選択したのは、招致活動を通じて日本が世界と交わした約束を果たすこと、だった。スポーツの力を世界に向けて発信し、この世界におけるスポーツの価値を高めること、だった。

不眠不休の日々。仕事はきつかったが、そこには他の何にも代え難いような遣り甲斐があった。夜遅くまで続くミーティング、そしてそれが終わると時差のある海外へ向けてのニュースリリース、午前5時にようやく一日の仕事が終わるのはざらだった。肉体は悲鳴を上げていた。しかし、都庁の41階から眺める明け方の東京の街は、髙谷の目にはこの上なく美しく素敵な街に思えた。冷えきった冬の空気の中、髙谷正哲は自分が生まれ育ったこの街に、そしてこの国に、オリンピック・パラリンピックが来ることの凄さをいつも感じていた。

2020年7月、そのオリンピック・パラリンピックは、本当に東京にやってくる。

<了>

写真・文

近藤篤

ATSUSHI KONDO

1963年1月31日愛媛県今治市生まれ。上智大学外国語学部スペイン語科卒業。大学卒業後南米に渡りサッカーを中心としたスポーツ写真を撮り始める。現在、Numberなど主にスポーツ誌で活躍。写真だけでなく、独特の視点と軽妙な文体によるエッセイ、コラムにも定評がある。スポーツだけでなく芸術・文化全般に造詣が深い。著書に、フォトブック『ボールピープル』(文藝春秋)、フォトブック『木曜日のボール』、写真集『ボールの周辺』、新書『サッカーという名の神様』(いずれもNHK出版)がある。



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