スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 戦略広報部
FOCUS
THE TOKYO 2020 BID COMMITTEE COMMUNICATIONS DEPARTMENT
東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 戦略広報部の足跡

もしそこに彼らの力なかりせば

チームワークが成功につながる

写真提供:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

2013年9月、ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、東京はマドリードとイスタンブールを押さえ、2020年オリンピック・パラリンピックの開催都市に選ばれる。第一次投票では42票、イスタンブール相手の決選投票でも60票を集め、ある意味で盤石な勝負を演じてみせた。

高円宮妃殿下が世界に向けて発した感謝のスピーチから、竹田JOC会長の最後のスピーチに至るまで、戦略広報部が準備したプレゼンテーションは完璧な出来映えだった。

いや、ブエノスアイレスだけではなく、ローザンヌでも、ロンドンでも、今回の招致活動の中で招致委員会が世界に向けてアピールしたそれぞれのプレゼンテーションは、2016年のそれと比べても遥かに効果的で、遥かに説得力を持ち、遥かに熱意に満ちたものだった。

写真提供:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

懸案だった国内支持率も、ロンドン五輪での日本人選手団の大活躍が後押しとなり、2013年1月の独自調査では73%まで数字を上げることができた。

もちろんそれは戦略広報部で寝る間も惜しんで働き続けた10人だけの業績ではない。招致委員会のトップから、毎週末様々な場所でピンバッジを配り続けた名もないボランティアまで、すべての人々のオリンピック・パラリンピックにかける情熱が、オリンピック・パラリンピック開催に懐疑的だった人々の心を動かした。

あるアメリカ人記者は、震災被害に見舞われた女川町を取材で訪れ、そこに東京五輪招致のポスターが貼ってあることに驚き、被災地の人々までがこの国でオリンピック・パラリンピックが開催される意義を語り、強く応援している姿に心を打たれたという。そしてそういう繊細なニュースを、戦略広報部は世界に対して丁寧に発信し続けていった。

写真提供:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

人々が目にする東京五輪招致関連のニュース、その裏には必ず戦略広報部の積極的な動きがあったのだ。

チームワークが大事やで。

都庁の41階の片隅に自分の席を設け、招致委員会CEOとして全体を統率し、各部署の動きを見守り続けた水野正人専務理事は、ことあるごとにそう語った。

たとえば野球であれば、ショートゴロのシーンではキャッチャーが必ずファーストの後ろに回るだろう。人間は必ずどこかでミスをする、そのミスを他者がどれだけカバーできるか。部署という枠組みを越えて、互いが互いを補完し合う関係を作ること、その積み重ねが成功につながるのだ、と。

そういう水野CEO自身も、今回の招致には不退転の決意で臨んでいた。彼が会長を務めているミズノは、オフィシャルサプライヤーの一社としてIOCに自社の製品を納入している。利益相反のルール上、会長の立場にある限り招致活動に直接的に関わることはできない。

2011年9月、水野は会長職を辞し、その日からは一人のボランティアとして、会議や打ち合わせに足を運ぶようになった。

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