スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

樋口豊

【対談】樋口豊×小島智子

純粋なスケートの楽しさを知ってほしい

INTERVIEW
YUTAKA HIGUCHI × TOMOKO KOJIMA

小島今日はすごく楽しみにしてきました。

樋口ありがとうございます。

小島私の親友の4歳の娘が、先生のところでスケートを習っているんですよ。 始めたばかりですが、すごく楽しそうに毎週通っているそうです。

樋口そうなんですか。4歳だとまだ小さいから、たぶん僕は教室で直接は教えていないけれど。神宮のスケート場の上の階では、チアリーダーの教室をやっていますよ。ステキですよね。時々上を見て、楽しそうだなって思います。前見て教えていなくちゃいけないんだけれど(笑)。

小島私は逆に、チアを上で教えていて下のほうを見ながら、「ああ、優雅だわ!」って、気持ちを落ち着けようって思うかもしれません(笑)。チアはフィギュアとは全然違いますよね。きれいに、しなやかに、優雅に、というよりは、元気よく、テキパキ、ハキハキですから。

樋口でもやっぱりチアも、リズム感が無い人は無理でしょ?

小島確かに(笑)。

樋口小島さんはアメリカには単独で行かれたんでしょう?

小島私は高校2年生のときに両親に無理を言ってアメリカに行かせてもらいました。そこで初めて本場のアメリカンフットボールやチアリーダーの姿を目にして、「あんなふうになりたい!」と。それがチアリーダーを目指したきっかけになりました。

樋口僕はビザも取らずに18歳で行ったんです。まだ1ドルは360円で、海外へのドルの持ち出し額にも制限があった時代です。今は日本スケート連盟からお金も出るし、多くのスポンサーに支えられていますが、母は本当に大変だったと思います。

小島お母様はずっと日本にいてお仕事しながら、ですか?

樋口はい、そうです。日本舞踊を教えながら。

小島そこから表現者の流れが来ているのでしょうね。

樋口かもしれませんね。自分は特に習いごとをやっていたわけではありませんでしたから。

小島カナダに留学されて、驚いたことってありますか?

樋口クラブの環境です。一般営業がなくて、滑っているのはクラブメンバーだけなんです。だからずっと朝から晩まで滑っていられる。しかも1時間置きに整氷されるし。それには本当に驚きました。それから、スケートだけをしている人と、医者や弁護士を目指して学業と両立している人、カナダにはその両方の人がいるんだというのも知りました。普通の生活では、見るものすべてカナダのほうが文化的に進んでいたように思います。なにせ40年以上も前の話ですから。

小島言葉は最初からできたんですか?

樋口いえいえ。最初の6カ月くらいは英語学校に通っていたんですよ。でも月謝がすごく高い。先生から「何のために来ているの?」って聞かれて、「フィギュアスケートを学びに」って答えたら、「じゃあ、この学校は辞めたほうがいい。ここで習うくらいのことならお茶を飲みながらでも教えてあげるから」って(笑)。それからはスケートだけになりましたね。

小島生徒思いの先生ですね。日本から1人で女の子が来たぞって、私はかなり驚かれたのですが、今から40年前なんて、先生もびっくりされませんでしたか?

樋口でしょうね。18歳で「地球のほぼ裏側から来た」って言われて。僕はとても親切にしてもらいました。みんなが心配してくれて、下宿する場所も探してもらって。選手生活が終わるまでは、そのイギリス人のおばあちゃんのところにずっといたんです。

<次のページへ続く>



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