第8回 YMFSスポーツ・チャレンジャーズ・ミーティング

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基調講演

日時 3月13日(金) 16:50〜17:45
講演者 北川 薫
公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団 スポーツチャレンジ助成 審査委員、学校法人 梅村学園 中京大学学長・同大学大学院 体育学研究科 スポーツ科学部教授
演題 人類の進歩、アスリートの未来
講演概要 現人類、ホモサピエンスのルーツはルーシーと名付けられたメスの類人猿だそうです。その末裔はアフリカの故郷を捨て他の動物を差し置いて世界を席巻しています。乾燥の大地、極寒の地までの移動の原動力はなんだったのでしょうか。恐らく、子孫繁栄のためにより良い環境を求めての移動だったはずです。そして、移動した環境に適応するため、そもそも黒かった肌の色を白くした種族もありますし、寒さに耐えるために手足を短くし腫れぼったい一重のまぶたになった種族もいます。そうした環境に生き抜くために脳も発達しました。現人類の進化は環境に適応するという、いわば受け身の進化であったようです。
功成り名を遂げた現人類にとってのこれからの進歩は、しかし、別のところにありそうです。その根源となるのが脳の前頭葉のようです。想像力の源です。その典型をアスリートに見ることができます。ホモサピエンスの進化は「楽な世界」を求め、その地で安住することでした。しかし、アスリートは肉体的苦痛の「つらい世界」に自らを置くことで、自分自身の願望を成就しようとしています。苦難を求める積極的な適応です。そして、目標に達すれば、世界新記録といった新たな目標を設定します。あくなき探究心は、最後には我と我が身を滅ぼすところまで行きつきそうです。

演題:人類の進歩、アスリートの未来

運動が好きか嫌いか。皆さんはいかがですか?
たとえば体育の教員などに聞くと、みんな「運動が好きだ」と答えます。でも私はそんなことはないだろうと考えています。もし人間がみな本当に運動好きであったなら、太ったり、運動不足に起因する糖尿病などになる人がいるわけないのです。私の印象では、やはり多くの人は運動が好きではない。したがって「成人病予防のため運動しましょう」とすすめたところで、やり続ける人はほんの一握りです。
一般的に、誰もができるようなやさしい運動は、すぐに飽きてしまう。たとえば私もジョギングを人にすすめたりしますが、私自身は好きではありません。つまり運動は、遊びの要素があってなんぼだと思うのです。

私は人類学の専門家ではありません。でも、いろいろ考えてみますと、人類の進歩はこれまで受け身であったような気がします。
命というのは、同じ個体を複製していくのではなく、新しい個体を作っていくということになります。最初は有機物の塊があって、植物はそこから進歩しましたし、動物のほうにも進歩した。進歩というより適応してきました。人類もいろいろ分かれてきましたが、結果的には一つの種に淘汰されてきています。最近では、クロマニョン人とネアンデルタール人は同じ時代にいて、雑種もできたのではないかと考えられているようです。
そのスタート地点は、アフリカの中部。そこで誕生した類人猿が、さらに良い環境を目指して動きました。氷河期にはつながっていた大地を歩いて、南アフリカのさらに南まで動いていくのです。陸続きでない場合は、船を造ったり、航海術を身につけたりしたんでしょう。頭を使ってさらに広がっていくわけです。いずれにしろ、現在は世界人口60億人か70億人。私が子どもの頃は30億人と言われておりましたから、人類はものすごい勢いで増えています。

それでは、この先人間はどのように進歩していくのか?
たとえば植物と一体化して、自らエネルギーを作ることのできる「改造エコヒューマン」。さらに、虎と人間が一緒になった「遺伝子組み換え人間」。脳だけが発達した「タコ型人間」。運動器は不要で考えるだけでいいということですから、コンピュータの中の生き物のような感じでしょう。「ハイブマインド」は、ハチやアリのような役割分担型の人間です。子育て、生殖、餌探しと、役割に応じてずいぶん形も違います。「宇宙適応型人間」は、有害な物質をはね除ける鎧のような身体を持ち、重力は関係ないので手足が極めて小さい。「性別を超えた人間」は、男女による生殖に頼らなくても繁殖することができます。
以上はインターネットで探してみた未来の人間の姿です。こんなふうにいろいろな進化が考えられているようですが、10万年後の人類、行きつく先は、コンタクトレンズや耳の上部に埋め込むナノチップを内蔵した骨伝導機、これを用いて外部とコミュニケーションする、そんなところでなかろうかと私自身は考えています。

さて、人間は生物界で最上位に位置するようになったと言いますが、これまでの歴史の中でたくさんの重要な機能を捨ててもきました。たとえば聴覚や視覚がそれに当たります。
『体育の科学』の2009年11月号に私が書かせていただいた「人間にとっての体育、スポーツの価値」というものを読み上げます。『ヒトにとってのこれからの進歩は、しかし別のところにありそうだと思います。その根源となるのが脳の前頭葉、想像力です。ホモサピエンスの進化は、楽な世界、居心地のいい、子孫を残すにはいいその地で安住することでした』――。

ではここで、アスリートについて考えてみましょう。
皆さんいかがですか? アスリートは肉体的につらい世界に自らを置くことで、自分自身の願望を成就しようとする。一般的には、つらいことは普通やりたくありません。先ほど申し上げたように、健康運動が広まらないのは運動がつらいからです。ですから運動をするためには、技術を絡めたほうが楽しいでしょうという話になるわけです。
しかし、ここにいらっしゃるチャレンジャーの皆さんは、ある意味、人類の上澄みのちょっと優れた人たちです。決して普通の人ではありません。私は授業で運動生理学やスポーツ生理学を教えていますが、教科書というのは平均値で書かれている。ところが、たとえば本学であれば、室伏広治選手や松田丈志選手は平均値ではありません。彼らは人類の発展形だろう、私はそう考えています。
アスリートについて書いた続きを読みます。『苦難を求める積極的な適応だろうと私は思っています。そして、目標に達すれば世界新記録といった新たな目標を設定します』――。さらに苦難を求める積極的な適応に『際限はない』――とも書いています。
皆さんもよくご存じのフィギュアの浅田真央選手。私は引退しないと思います。金メダルに手が届きそうなところにいたけれども、結果としては獲れなかったということで、私は彼女自身、まだ納得していないんじゃないかと思っているんです。
同じように、ここにいるアスリートの皆さんも、きっと行くところまで行くだろうなあと思います。どこで納得するかわかりませんが、あくなき探究心、そういう一種の狂気というのが人類のある部分で進んでいくのだろうと考えております。
科学が進歩し、人々はボディケアを非常に小まめにやるようになりました。そういう点では肉体は長持ちするかもしれません。しかし、たとえば靱帯が切れたりすると、筋肉と違って復活できません。それでもアスリートは進んでいくのであろうと思っております。

そもそも生物は、環境になじむように変化してきたようです。だから皆さんも間違いなく変化しています。この先、どういう形に変化していくのか、それは分かりません。
これまでの変化は環境に支配されてきました。種の存続を目指してより良い環境に適応してきた。もともと細胞が分裂して複製されていったのですが、それではどうも進歩はないということで、他の同種の個体と一緒になって遺伝子を絡ませながら次に進んできたわけです。そのほうがより良い発展が望めるということです。種の保存というより、種の進化と言ったほうが私はいいと思います。ヒトの変化、進化と言ってもいいかもしれません。

冒頭で、人類の進歩は受け身であったという話をしましたが、アスリートを見る限り、その変化の様相は違うと思います。おそらくこれまでのヒトとは違う発達の仕方をしていくのではないでしょうか。要するに、外的環境や内的環境の変化、また想像力といったものが人間の身体を変えていくと思います。
私は今年70歳になります。残る30年の人生で(場内笑い)私の身体が発達するかというと、これはあり得ません。皆さんの世代でもそれはおそらく無理でしょう。ただ、皆さん方の努力によって、1万年か、もしかしたらその先で、人類は違う形になっていくかもしれません。私自身、長い間、スポーツ科学部でアスリートたちを見てきて、次の世代をまっとうするきっかけはここにあるのかな、と思っております。

以上、皆さんのチャレンジに期待して、私の話を終わります。ありがとうございました。


講演者

基調講演
プロフィール

北川 薫(きたがわ かおる)
公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団 スポーツチャレンジ助成 審査委員、学校法人 梅村学園 中京大学学長・同大学大学院 体育学研究科 スポーツ科学部教授

1945年6月生まれ。1969年、東京大学教育学部卒業。1972年、東京大学大学院教育学研究科体育学博士課程中途退学。1982年、教育学博士(東京大学)。1983年、中京大学教授に就任。2001年4月から2006年3月まで体育学部長。2007年4月、学長に就任し、現在に至る。専門はスポーツ生理学、スポーツ科学。日本バイオメカニクス学会実行委員長、日本運動生理学会会長等、多数の公職を歴任。著書に「運動とスポーツの生理学」(市村出版)など。