スポーツチャレンジ賞




彼が作ろうとしているもの

2014年、ヘルスエンジェルスは創設時と同じように、月1回の活動を続けている。集まるのは主に東京都内在住のメンバーだが、中には少し離れた県から練習に参加している人もいる。かなりのスピードで走れる上級者もいれば、まだ走り始めて間もない初心者、年配の男性、若い女性、小学校を卒業するかしないかぐらいの子供、様々な人が同じ場所に集まり、汗を流している。
まず最初に準備体操、次にウォーキング、その次に軽いランニング。メンバー全員をシャッフルして何チームかに分け、リレーをやって楽しむ時間もある。臼井もその中に混じり、ニコニコと笑いながら彼らと一緒に目標のコーンまで走って戻ってくる。

練習メニューの合間合間で、臼井は同時進行的に何人もの義足の具合を確かめ、調整し、初めて参加するという車いすに乗った女の子をクラブのメンバーに紹介し、取材に来たメディアに対応し、ひっきりなしにかかってくる携帯電話に対応する。それらの多くは、全国に散らばる臼井が担当する患者たちからの電話だ。
ただ単に義足を作るだけではなく、その義足をつけた人間の生活や人生とも密接に関わってゆく。義足は心とも密接につながっている。その人にとって良い義足を作るために心のケアが必要ならば、それもまた自分のやるべきことだと臼井は思う。その選択は彼の私生活から多くの時間を奪ってゆくが、臼井はそれこそが義足を作る仕事だと認識している。
ヘルスエンジェルスのトレーニングメニューは、団体から個人へと移行し、各々のメンバーが各々のメニューに取り組み始める。トラックをつかった短距離、中距離の練習、あるいは走り幅跳び。練習は早めに切り上げ、仲間とベンチに座って話し込んでいるメンバーもいる。ふざけ合っている子供たちもいる。
パラリンピアンが出たことで、たしかにヘルスエンジェルス、競技種目としての障害者スポーツに注目は集まる。しかしながら、ベースになるのはあくまでも一般の人々だ。市井の人々の義足を作り、そこで技術を磨くことが、より良いスポーツ義足の開発にもつながってゆく。市井の人々の中から一人でも多く走れる人間を育てていくことが、一流のパラリンピアンの育成につながってゆく。大きなものを失い、失望の時間をベッドの上や家の中で過ごし続けている若者を一人でも多く外へ導きだし、再び走れるようにすることが、より多くのパラリンピアンを生み出す原動力となる。
そこをおろそかにしてしまったら、5年後には走れる人間なんて一人もいなくなってしまう。

義足の一番の意味は、社会への復帰だ、と臼井は言う。彼らが良い義足を身につけ、再び社会に復帰して働けるようになれば、彼らのおさめる税金でまた新たな数の人々に社会保障が与えられることになる。生活が安定しなければ、スポーツを楽しむことすらままならない。
そしてその次に、再び走れるようになることがくる。走ることが、その人に新しい自信を与え、新しい希望を与える。
横断歩道を渡っている途中、信号が点滅し始める。以前なら中央分離帯でうな垂れて立ち止まっていた自分が、今では一気に向こうの歩道まで駆けてゆくことができる。立ち止まるか、駆け抜けるか、そこには大きな、とても大きな違いがある。その違いが、人の表情に笑顔を取り戻させ、人の心に優しさとゆとりをもたらす。臼井が作っている義足とは、そんな義足だ。
2時間後、ヘルスエンジェルスの練習は終わり、メンバーたちは三々五々練習場を後にしてゆく。臼井は練習道具を片付けると、大きなスポーツバッグを肩にかけ、メンバーの何人かと歩き始める。彼の携帯は相変わらず鳴り続けている。
<了>
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