スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

臼井二美男
FOCUS
FUMIO USUI
臼井二美男の足跡

失われたものを取り戻すために

義肢との出会い

あとになって考えれば、きっと運命だったのだろう。臼井は興味をひかれ、その職業訓練校の中へと入っていった。休日だったがたまたま学校関係者の一人が居合わせた。彼は臼井に義肢科とはどういうもので、何を学ぶのかを丁寧に説明し、学校への入学を熱心に薦めてくれた。国からの補助金も出るから、これから1年勉強を続けるうえで特に生活で困ることもないよ。

臼井はこの学校で義肢の勉強を始めることに決め、それじゃあ今年の4月からよろしくお願いします、と挨拶をし学校を立ち去った。

翌日、臼井は電話帳を調べ、一軒の義足店に電話をかけた。これから自分が入っていこうとしている世界は、いったいどういう世界なのか?バイトではない初めての仕事。臼井はそこで自分が何をするのかを知りたかった。

臼井が最初に電話をかけた先は、都内にある小さな義足店だった。店主は臼井の問いに対して、うちのように小さな店の話は参考にならないから、と、もっと大規模な施設の電話番号を紹介してくれ、予め先方に連絡を入れてくれた。

翌日、臼井は当時東中野にあった鉄道弘済会を訪れる。工場の中では20人ほどの人が働いていたが、そのうちの10人は義足の人々だった。当時、鉄道弘済会は事故で障害をもつことになった社員の新しい職場という意味合いも持っていた。あんた足あんのか?はい、あります!そんな立派な身体の人間がこんなところで働いちゃダメだよ。

しかし、臼井の訪問を受けいれ、施設内を案内してくれた課長さんは、その日臼井の見学が終わると、明日もう一度ここに来てみないか、と誘った。理由は言ってくれなかったが、たぶん悪い話ではなさそうだった。翌日、臼井はもう一度東中野に足をはこび、昨日の課長さんからはこう尋ねられた。

どうだね、君ここで働いてみないかね?実は今度の4月に技術者の欠員が一人でるんだよ。学校に通っても、1年後にここで働けるとは限らないし。四谷にある本部からもう許可はもらっているし、もちろん学校の方にはちゃんと説明して、私からも丁寧にお詫びしておくから。

お願いします。臼井に断る理由はなかった。

課長の判断は、100%正しかった。28年後、臼井は日本で最高の義肢装具士の一人となり、何百人もの人に新しい希望や夢を与える存在となる。

<次のページへ続く>



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