スポーツチャレンジ賞
だって、もったいないから。
そして今、2021年の夏、越智は自身6度目になる夏季パラリンピックに向けて鼓動の高まりを実感している。
「ほんとにこの21年間、いろんなことがあって、いろんなアスリートとの出会いがあって、その中で一番思い出に残っていることと尋ねられても、難しいんですが…」
そう前置きした上で、越智は南アフリカ出身の義足のランナー、オスカー・ピストリウスの話をしてくれる。

オスカー・ピストリウス(右端)©越智貴雄
「2006年、オランダのアッセンで行われた競技会で、僕は彼と話したことがあるんですよ。会場内のレストランだったかな。タカ、俺はオリンピック目指そうと思ってるんだよ、って。当時、パラの世界陸上なんて、日によっては撮影者は僕一人だけ、みたいな状況だったんです。だから、もしプロモーションとかで必要な時は僕が撮った彼の写真を貸してくれないか、っていう話で」
パラリンピックの両足切断者クラスで100m,200m,400mの世界王者であり、世界記録保持者でもあるピストリウスは、その後両足に装着した炭素繊維のブレードの使用をめぐっての紆余曲折を経たのち、2011年の晩夏、韓国の大邱で開催された世界陸上にパラアスリートとして史上初めて、健常者とともに400mレースに参加し、準決勝に進出する。
そのレースで、越智は泣いた。号泣した。気がつくと、のぞいているファインダーが雨降りの日の車のフロントガラスのように、全く見えなくなっていた。
「あの瞬間、パラが初めてこの世界と融合した、そんな感覚を味わったんです。予選でオスカーに負けた選手は、レース後のミックスゾーンで不機嫌に、あんなブレードを履いているのは不公平だ、ってインタビューに答えてて。でも強い選手は余裕で、いやあれはあれでいいことだと思うよ、って答えてて。なんだか人間臭いなあ、って嬉しくなりました」
ダイバーシティ&インクルージョン、この20年間、世界は多様性を尊重し、そしてさらなる融合を目指して、少しずつ前に進んできた。パラスポーツの世界でもそれは変わらなかった。静かに静かに、パラスポーツは進化を遂げ、その進化を越智は撮り続けてきた。
パラスポーツ撮影の第一人者としての使命感、そんなものを感じますか?
その問いに越智は照れ臭そうに微笑んで答える。
「いえ、使命感、とかはないですね」
じゃあなぜパラスポーツを撮り続けるのですか?越智はもう何十回も聞かれたであろうその質問に、何十回も返してきたであろう同じ答えを口にする。
「だって、もったいない!ですよ。こんな素晴らしい世界、面白い世界があることを知らないのは、ほんまにもったいない!だから僕は、どうしてもそれを伝えたいんだと思うんです」

<了>
「スポーツチャレンジ賞」トップにもどる