スポーツチャレンジ賞

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越智貴雄

人間ってこんなことができるんや!

「パラのことは何も考えたことないって言いましたけど、実は一つだけ、これってどういうことなんやろ?って考えさせられた出来事はあったんですよ」

オリンピックの期間中、越智は二人のイギリス人と小さなフラットをシェアしていた。大会が始まって何日目か、そのうちの一人がある朝、地元紙のシドニー・モーニング・ヘラルドを差し出してきて、「タカ、おめでとう!」と祝福の言葉を口にした。

紙面に目を落とすと、スポーツ面の第1面に車椅子の日本人アスリートの写真が大きく載り、800mエキシビジョンレースで彼女が銀メダルを獲得したことが伝えられていた。

オリンピックの最中に、パラの競技であるはずの車椅子のエキシビジョンレースのニュースが、スポーツ面トップで扱われている。しかもそこに写っているのは、日本では報道もされない日本人選手…、越智は少し混乱する頭でその紙面をしばらく眺め続けた。

2000年10月18日、シドニーパラリンピックは開幕した。

その前日まで、越智は次第に自分の中で不安感が高まるのを感じていた。

そもそも、脚や手を失って大変な人たち、かわいそうな人たちの写真なんて撮ってていいんかな?他になんかお手伝いせなあかんこととかあるんとちゃうかな?

障害を持つアスリートたちにカメラを向けること、彼はそこにポジティブな意味を見出せなかった。

開会式が始まり、カメラを構える越智の前に、各国の選手たちがスタジアムに入場してくる。彼らはみんな…、笑っていた!松葉杖を脇に置き、いきなりブレイクダンスを始める選手もいた。越智の頭はさらに混乱する。え?これってどういうことなの?

大阪芸大時代の越智氏。シドニー取材から帰国後、写真展を開催(写真提供:越智貴雄氏)

翌日からは競技の撮影が始まった。ファインダーの中、義足をつけたアスリートが100mを11秒台で走り抜けて、車椅子のランナーが時速35キロを記録する。車いすバスケットの選手たちはとんでもない勢いで激突してフロアに倒れ落ち、自らの腕力で再び体勢を立て直す。片足を太腿のところから切断した選手が、もう片方の脚の力だけで185センチの高さをベリーロールで飛んでしまう。

幻想ではない。越智の目の前で起こっていることは、全てが現実だった。

人間ってこんなことができるんや! 毎日が驚きと発見の連続だった。すごいな、ハンパないな。知っているつもりだった世界が一気に広がってゆく、それがシドニーパラリンピックの12日間で越智の内側に起こったことだった。

「当たり前ですけど、それまでの自分はそれまでに見てきたことを物差しにしていたわけです。その先入観を一度捨ててしまって、今は自分の見たものを信じよう、ほんまにそう思ったんです。大会中、会場に来ていたある子供がこんなセリフを口にしたんです。かっこいいな、彼らみたいになりたいな、って。100%同感でしたよ」

<次のページへ続く>



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