スポーツチャレンジ賞

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狩野美雪

高校女子バレーの名門、八王子実践へ。

そんな狩野だったが、中学3年生の時、当時のさわやか杯、今のJOC杯のための東京都選抜メンバーに選ばれる。なぜ自分のような選手が選ばれたのかはわからないが、当時の選抜チームには彼女のような、弱小チームにあってもキラリと光る才能を持つ選手をとりあえず入れておく、という暗黙の了解のようなものがあった。

選抜チームの練習に行くと、色々と戸惑うことが多かった。周りはほぼ全てバレーボールエリートのような少女たちだらけだったし、誰もがこれから先のバレーボール人生で目指しているものを明確に持っていた。

狩野は自分の力をまったく信じていなかった。あるいは、自分を信じられるだけ追い込んだ経験すらなかった。とにかく練習についてゆくのに精一杯だった。昨日まで適当にトス、レシーブ、スパイクの練習をやっていた少女は、いきなりシステムの話を持ち出されると正直困惑した。
選抜チームはシーズンになるとほぼ毎週末、都内の名門校と呼ばれる高校に出向いてゆき、練習試合を行った。うちに来てやってみないか?東京都の選抜チームは練習試合を受け入れる側にとっても、最後の原石探しの場になっていた。

「うちに来ても、3年間ボール拾いで終るかもしれないよ」
狩野が選んだのは、監督自身には何の確約ももらえなかった名門八王子実践だった。きっと自分なりの忖度だったのかもしれませんね。当時を振り返って彼女はそう静かに微笑む。八王子実践女子バレー部は、母親の育った場所であった。

自宅から通えば30分のところにあった学校だが、狩野は高校1年生からバレー部の合宿所で3年間を過ごした。古い時代の古い習慣に満ち溢れた名門高校の合宿生活だった。練習としきたりは厳しく、時に理不尽な規則もあった。高校に入る春休みから合宿生活は始まったが、入学式の前にバレー部を辞める選手もいた。

しかし同高校のバレーボール部先輩として母がくれたアドバイスは、どうせ逃げても連れ戻されるか、バレーボールをやめるだけ、というシンプルなものだった。実際、一度寮生活から逃げ出して戻って来たものはその事実を背負ったままその後のバレー部での時間を過ごし、あるいは本当にバレーボールを諦めてしまうかだった。狩野はそのどちらも嫌だった。自分に特別な才能があるとは未だに思えなかったが、かと言ってそれがバレーボールを諦める理由にはならなかった。あるいは、本当のところは、辞めると言い出す勇気すらなかったのかもしれない。

新3年生のチームができた時、監督がチームの新キャプテンに指名したのは狩野美雪だった。一つ評価されたことがあるとするなら?もしかすると彼女の目指していたバレーボール選手というものは、周りの人が褒めてくれるレベルよりもいつももう少し上にあるものだったのかもしれない。
今のスパイク良かったね!たまにかけられる監督からの評価の言葉は、狩野の耳にはさほど心地よいものには響かなかった。彼女の中では、もっといいスパイクのコースと角度があり、そういうスパイクを打てる選手になりたかった。

<次のページへ続く>



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