スポーツチャレンジ賞

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【狩野美雪の足跡】音のない世界のバレーボール 自分のためのバレーボールを目指して

第10回ヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ賞奨励賞は、デフバレーボール日本代表女子チーム監督、狩野美雪に贈られた。10年という時間の中で、奨励賞、功労賞を通じ女性が受賞したのは彼女が初めてである。

勉強もそこそこ、運動もそこそこ。

狩野美雪は1977年、東京都の三鷹市で生まれた。
バレーボールを始めたのはやや遅く、中学1年生の時だった。

小学校時代は4年生の時から同級生と共にサッカーをやっていた。身長は当時から高く、リレーの選手に選ばれていたくらいだから、運動神経も備わっていた。しかし当時の狩野はそれほどスポーツにのめり込むタイプではなかった。勉強もそこそこだし、運動もそこそこだった。特に自分の中に特別な才能を感じていたわけではなかった。

一緒にサッカーをやっていた友人の中には、中学進学とともに読売ベレーザの練習に通い始める子もいたし狩野はその友人に入団テストを一緒に受けようとも誘われていた。しかし実際のところ、気がつけばもうすでにテストは終わっていた、万事においてそんな感じの少女だった。

当時も今も、中学1年生の女子が選択できるスポーツは限られている。

狩野はバレーボールを選択した。バレーを選択したのは、両親ともにバレーボール選手の家庭に育ったからだったかもしれない。多分そうだろう。

中学のバレー部はどちらかというと弱小の部類に属するチームだった。バレーボールに対してそこまでのめり込んでいたわけではない。やめたいと思うほど練習がきつくなかったから狩野は逆にバレーをやめないでいられた、結果的にはそういうことになるのかもしれない。

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