スポーツチャレンジ賞




日本にはなかった言葉、表現、そして価値観
2度目の海外。英語もろくに話せないまま、樋口はトロント市内に小さなアパートメントを借り、異国での生活を始めた。周りの人々は誰もが親切で、生活習慣の違いにとまどうことはあったが、精神的に追い込まれるようなことはなかった。辛さ? 樋口の言葉を借りれば、自分の一番好きなことに1日中没頭していられる日々に、辛さなどあるわけはなかった。
彼の得意なコンパルソリー。氷上に正しく丸い図形を描くように、日本ではそう教えられてきた。自分のエッジのぶれ、揺れは、自分の目で確かめながら修正してゆくのが普通だった。
自分の中のイメージに忠実に滑りなさい、カナダではそう教えられた。
同じスピードで同じ動きをすれば、必ず結果的に同じトレース、軌跡が白い氷の上に描かれているはず。たとえ目を閉じて滑っても、自分の感覚通りに滑ることができる技術を身につければ、1ミリのぶれもないトレースが滑った後に残っているはずなのです、と。
トロントで練習を始めたばかりの頃、樋口のトレースはむしろこれまでよりもさらにぶれ、スケーティングの調子が狂うことも多かった。本当にこれでいいんだろうか。そんな疑念が心の奥からわき上がることもあったが、樋口は自分がなぜトロントに来ることを決めたのかを思い出し、外国の強豪選手たちがやっていることを信じることにした。
できないならば、できるようになるまで練習する。コンパルソリーの練習は1コマが50分。それを樋口は1日に7コマこなし、さらにフリースケーティングの練習を3コマやった。合計で500分、ほぼ10時間の計算になる。彼が飽きることはなく、クリケットクラブの仲間たちからは、ユタカ、きみはクレイジーだよ、とからかい半分で褒められた。
クラブのリンクには鏡が備え付けられており、自分の滑る姿を眺めるのも、そして他の様々な選手たちの滑りを眺めているのも、刺激的で楽しかった。
フィギュアスケートに初めてクラシックバレエを取り入れたとされるトーラー・クランストンも、その時期同じリンクの上で練習していた。足を高く上げたり、後ろに蹴り上げたり、彼女が見せるエキセントリックなまでの新奇なスケーティングは、樋口の美意識にはちょっと適わなかったが、当時のクリケットクラブのリンクはいつも新鮮な驚きに満ちていた。
フィギュアスケートとは芸術性を競い合うものなのです。
音楽を身体で感じなさい。
美しさを表現することに意識を集中しなさい。
日本では聞いたことがなかったような言葉や表現、そして価値観が、そこには溢れていた。そしてなによりも、クリケットクラブの氷の上には、何年か後、何十年か後に樋口の力となってくれるたくさんの素晴らしい友人たちがいた。後に日本に来て様々な選手のコリオグラファーとして活躍するデイヴィッド・ウィルソンと知り合ったのも、このリンクだった。
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