スポーツチャレンジ賞




国立障害者リハビリテーションセンター

2006年、16年過ごした福岡の地を離れた江黑は、埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターで新たな働き場所を得た。現在は同センターの体育教官として授業を持ち、忙しい日々の中で時間を見つけてゴールボールに携わっている。
金メダルを獲ってから、授業での生徒の姿勢が変わり、誰もが真剣に聞いてくれるようになった。江黑は本来冗談の好きな男だ。笑いをとろうと思って口にした言葉に、オレは真面目に聞いているのに、なんでそんなふざけたこと言うんだよ!、そんなリアクションが返ってきて苦笑してしまうこともある。
ゴールボール、あるいは障害者スポーツへの理解も少しずつ深まってきた。江黑に言わせれば、視覚障害者のスポーツも健常者のスポーツも基本的には同じ、なのだ。障害者スポーツはことさら特殊なものではなく、スポーツの中にあるひとつのカテゴリーに過ぎない。
彼女たちは視覚に障害があるだけで、それは私が短気なところに障害があるのと大して変わらないですよ、と江黑は笑う。
だから、私が彼女たちに手を貸すのと同じように、彼女たちも私の足りない部分に手を貸してもらわないといけないんです。そのためにはもっとお互いにやり合わないといけない。
ロンドンで金メダルを獲った翌日から、早くも2連覇という言葉が江黑の周りで聞かれるようになった。江黑自身も当然それは狙っているし、ゴールボールの世界でやり遂げていないことはまだある。たとえば、すべての選手がすべてのポジションをこなし、予選から決勝まで、出場する選手の組み合わせがすべて異なるようなチーム作りを江黑は思い描いている。
けれど彼の中には、ゴールボールではないものに惹かれるもう1人の江黑直樹もいる。中学生でも、小学生でも、障害を持つ子もそうでない子も、運動が苦手だと言う子どもたちに、身体を動かす楽しさを伝えられるような仕事をしたい。
できないなんて言わないで、できるようになるまでやろうよ。必ずできるから。そのことを江黑は子どもたちに伝えたいと、今でも思い続けている。

そういえば。
江黑が体育の先生を目指すきっかけとなった中村先生とは、彼の勤務先である国立障害者リハビリテーションセンターで再会を果たした。脳梗塞による後遺症の治療が目的だった。
おまえがここで働いていると聞いたから。
先生は江黑のいるセンターに決めた理由をそう伝えた。
その後、中村先生はリハビリをやり遂げ、今は埼玉県内の中学校で教頭先生として再び生徒たちを指導している。
<了>
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