スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

江黑直樹
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NAOKI EGURO
江黑直樹の足跡

ゴールボールのむこうにあるもの

そしてロンドンへ

決勝の後半残り時間1分55秒。「気を引き締めるように」「呼吸を整える」ためのタイムアウトをとる。(写真提供:江黑直樹)

ロンドンの選手村に入ったのは大会の2週間前だった。日本を出る前に、やれることはすべてやってきた。男子の力を借り、速い球に対応する練習もした。あとは、選手村での共同生活でどうチームワークを高めるか、そこに専念するだけ。うまくやればうまくいく、という感覚はあった。

江黑が描いていたシナリオは、決勝で中国と当たり、そして守りに守って勝つことだった。日本が金メダルを獲得するにはそのシナリオ以外にはない。

8月31日に始まった予選で、日本はオーストラリアに3-1で勝つと、続くアメリカ戦も2-1でものにした。第3戦のスウェーデンには0-0引き分け、カナダには0-1で敗れたが、この時点で準々決勝進出を決めた。

カナダ戦の直前になって中心選手の1人、安達阿記子が体調を崩して熱を出したが、結果的にはそれが幸運だった。それが3戦目のスウェーデン戦や準々決勝のブラジル戦で起こっていれば、計算していた勝ち点や星を落としていたかもしれない。運まかせにはしたくないが、運もまた、金メダルを手にするためには大きなファクターだった。

準々決勝ではブラジルに2-0で勝利、続く準決勝ではスウェーデンを相手に4-3の激しい試合を演じ、決勝進出を決めた。選手たちは勝つために必死に戦い続ける。

9月7日の決勝の相手は、本命中の本命とされる中国だった。一人ひとりがパワフルで、受ければすぐに強烈なボールを投げ返してくる中国に対し、日本は緻密な守備を敷き、相手に綻びが出るまで耐え続ける。そんな戦いが予想され、実際その通りの展開となった。

1-0。日本勝利。

中国に勝てる国があるとすれば日本しかない、アメリカチームのコーチが残したコメントは正しかった。

決勝の舞台で戦った3人は、いずれも彼がゴールボールに引っ張り込んだ選手だった。競技を始めて間もない頃、ぼろぼろに負けて打ちひしがれる彼女たちを見ながら、江黑は何度も自問した。

優勝してからの最初の全体写真。表彰式では選手に「おめでとう」の言葉がけができず、会場出口で待ち構え、帰り際に撮影。(写真提供:江黑直樹)

これは本当に正しいことなのだろうか。ゴールボールをやらなければ、彼女たちはこんなに悔しい思いをしなくて済むのではないか。彼女たちに無理を強いているのは、自分が日の丸を胸につけていたいから、自分が金メダルを獲りたいからなのではないか。

いや、たぶんこれで間違っていなかったんだろう。100%の確信が持てたわけではない。それでも、歓喜に沸くロンドンパラリンピックの会場の片隅で、しっかりと抱きしめ合う選手たちの姿を見つめながら、江黑はようやく自らの問いに対する答えを出せたような気がした。

<次のページへ続く>



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