スポーツチャレンジ賞


2000年、越智貴雄氏はシドニーで開催されたパラリンピック取材をきっかけに、パラスポーツを撮り始めた。当時、パラスポーツは福祉関係のニュースとして扱われることが多かったが、越智氏は撮影を始めて以降、あくまでも競技スポーツとしてのパラスポーツの報道にこだわってきた。そんな彼に2016年、一つの転機が訪れる。瀨立モニカ、当時17歳だった女性カヌーイストとの出会いをきっかけに、越智氏は一人のアスリートを、単に競技者としてだけではなく、一人の人間として写真の中に記録してゆくようになる。出会いから5年、フォトグラファーとパラアスリートの幸福な関係について語ってもらった。
YMFSまずはお二人の出会いから教えていただけますか?
越智2016年だったですね。日本パラリンピックノルディックスキーチームの荒井秀樹監督(第11回YMFSスポーツチャレンジ賞功労賞受賞)から、スゴイ選手がいるからとにかく見に来てくれ、と誘われたんです。それがモニカさんとの初めての出会いでした。
瀬立たしか旭川での合宿でしたよね。
越智そうです。合宿は2日間、2日目の練習が終わった後でモニカさんとお話しする機会を設けていただきました。実を言うとその時まで私はモニカさんについては一切知らなかったんですよ。
瀬立実はカヌーやっているんです、って。
YMFSカヌーの選手がなぜ冬の競技であるノルディックスキーの合宿に参加していたのですか?
越智パラの世界では、夏と冬、複数の競技をこなす選手は結構いるんですよね。

瀬立私はその時もうすでにカヌーをやっていて、世界選手権にも出ていましたが、まだパラリンピックの出場経験はありませんでした。他の競技で上を目指している選手は、いったいどういうことを考え、どんなトレーニングを積んでいるのだろう、そんなことを知りたくてノルディックスキーの合宿に参加させてもらっていたんです。当然色々と費用もかかるのですが、そこは母に、クリスマスプレゼントとしてその合宿に参加させてほしい、と頼み込みました。
YMFSなかなか素敵なプレゼントですね。越智さんはその時のモニカさんの印象を覚えていらっしゃいますか?
越智第一印象は、花が開いた瞬間、そんな感じでしたね。
瀬立花ですか!笑
越智あと、これは初めてお会いした時からずっと変わらない印象なのですが、モニカさんはよく笑顔を見せる人、そこにある空気感を一瞬で変える人だな、ということです。
<次のページへ続く>
「スポーツチャレンジ賞」トップにもどる