スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

TAKAO OCHI × MONIKA SERYU

1年遅れの東京2020パラリンピック

【対談】越智貴雄×瀬立モニカ フォトグラファーとパラアスリートの幸福な関係

©越智貴雄

YMFS1年延期にはなりましたが、2021年9月には東京2020パラリンピックもようやく開催されました。お二人は競技者、取材者として参加されたわけですが、無観客でのパラリンピック、まず越智さんはどんな感想をお持ちですか?

越智うーん、言葉にするのはとても難しいのですが、感情的には残念でしたよね。パラリンピックというのは、世界中の人が混ざり合って、つながり合う、そういう大会です。競技だけのパラリンピックは、なんだかトップアスリートの見本市、ショーウィンドウを眺めているような感覚がありました。普通パラリンピックの後って色々な思い出が一つの大きな塊のような感じで残っているのですが、今回はそれがありませんでした。記憶がまるで心電図のように、ふっと現れては消え、それの繰り返しです。

【対談】越智貴雄×瀬立モニカ フォトグラファーとパラアスリートの幸福な関係

©越智貴雄

YMFSモニカさんはいかがですか?

瀬立5年前のリオデジャネイロ大会で初めてパラリンピックに参加した時、現場の熱みたいなものを感じながら、わーこれを4年後の東京でやるんだな、って感激した記憶があります。無観客だったことを除いては、私個人としてはあの時に感じた熱をもう一度東京で体験できたように思います。大勢の選手やスタッフがスタンドで見ていてくれたし、ボランティアの方々がものすごくいい雰囲気を作ってくれていましたから。

YMFS全く声援のない会場に違和感はなかったですか?

瀬立パラカヌーの場合、普段から観客がほとんどいないですから、笑。コーチの声もよく聞こえて、いつもどおりでしたね。とはいえ、一次予選がひどい結果だったので、さすがに準決勝の前はものすごく緊張しました。胃が痛いというか、もうほんとに胃が口から出そうでした。

YMFS大会期間中、越智さんはどんなふうに時間を過ごされていたんですか?

瀬立私もそれ聞きたいです。毎日何を食べて過ごしてたんですか?笑

越智とにかく絶対にコロナにかかりたくない、そのことだけを考えて行動していました。カヌー競技は大会スケジュールの後半に組まれていたので、ものすごいプレッシャーでした。もしそれまでに発熱したり、PCR検査で陽性になったら、そこで自分のパラリンピックは終わってしまうんですから。

瀬立そうかあ、そんな苦労があったんですね!

越智もし瀨立モニカを撮れなかったら、オレ何のために生きてきたんや、ってなるじゃないですか、笑。各競技場にはいくつかのフォトポジションがあって、毎日PCR検査を受けているカメラマンはその中でも一番良いポジションに入れてもらえるんですけど、もし万が一検査結果が陽性になったら、そこで終わりになる。なので、移動は99%マイカー、地下鉄に乗ったのはわずかに1回だけでした。会場にもなるべくギリギリに着いて、撮影が終わったら一刻も早く人のいるところから離れていました。

【対談】越智貴雄×瀬立モニカ フォトグラファーとパラアスリートの幸福な関係

©越智貴雄

YMFSそんな中でようやく撮ることのできたモニカさんのレース、いかがでしたか?

越智決勝だけはレース開始の3時間前、誰よりも早く会場に着いて、一番いい場所を確保しました。この撮影場所だけは誰にも渡さへんで!って。

瀬立私より会場入りしたの早いじゃないですか。私自身は7位という結果には全然満足できていなくて、最近までずっとモヤモヤしていました。7位入賞おめでとう!って言われても、どう返事をすればいいのかわからなくて。

越智とにかくいきなり気温が下がったのには驚きましたよね。風雨もあったので体感は16度くらいだったかな。9月上旬にしては信じられないほど寒かった。ファインダーの中でレース前のウォーミングアップをするモニカさんの姿を見ながら、なんか緊張しているのかなって感じていました。

瀬立気温があそこまで下がるというのは本当に想定外のことで、緊張しているというよりは、いつものレース前のルーティンとは違うことをやっている、という感じでしたね。

<次のページへ続く>



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