スポーツチャレンジ賞
2020年までに日本製の新しい板を作りたい

萩原臼井さんは、義足をつくる人間として、競技の部分で世界を意識されますか?
臼井私はロンドンパラリンピックでも、常に練習トラック、サブトラックに行って、他の国の選手の義足を見たり、触らせてもらったりしていました。見れば大体わかるんですけど、よく見たら、こんな工夫、とてもじゃないけどできてなかったとか、そういうのは知っておかないとって思います。決して自分たちの技術は世界に負けてはいないと思っているんですよ。ただ、特にものづくりにおいては、ときどき世界には想像を絶するような発想とかがあったりする。そのへんは常にチェックしていないといけませんよね。
萩原臼井さん自身、パラリンピックも意識されますか?

臼井普段はあんまりしていないですよ。いまいる選手の希望をまず最優先でクリアしなきゃいけないから。先月まではちょうどよかったけど、またお尻の筋肉が大きくなって、足が義足にはまらなくなってきた、とか。まず基本的にそれをやって、その上で世界の義足の流れ、潮流みたいなのをチェックしておきます。できれば先を行きたいんですけど、なかなか日本はそういうところまでの予算がない。海外メーカーは世界中にユーザーがたくさんいるので、研究費も結構使って作っていますが、日本は市場が小さいし世界にも売れないですからね。ただ、2020年までにはぜったいに日本製の新しい板(スポーツ用義足の足部)は作りたいなと思っています。
萩原6年後に向けてそういうところもアピールできればいいですね。メイドインジャパンを、選手たちも使うし、ファンの方にも広めていけるような機会になればいいですよね。2020年に向けての強化も大切ですが、パラリンピックもオリンピックも、6年後に希望がたくさん詰まっているし、6年後が終わってからの継続のほうが、私はスタートだと思っています。
臼井本当にそのとおり。今はクールジャパンとか言うけど、なんかそういうところでも日本がアジアのお手本になるようなシステムみたいなものを作れればいいかな。
萩原「チーム臼井」ですね。
失っていた自信を取り戻す、その価値は大きい
臼井義足って、結局1人に1個じゃないですか。だから、概念だけあれば成り立つわけじゃないんですよ。一人ひとりがちゃんと納得したものの集合体だから、これに手を抜くと、結局は1人の選手ですら育たないんですよ。自分のエネルギーをこっちの構築するところに注ぐと、こっち側にも注がなきゃいけなくなる。その両方を築いていかないといけないところがとても難しい。

萩原臼井さんが10人くらいいたらいいですね(笑)。
臼井根本的にボランティアなので、9時〜5時だとなかなかできない。情熱戦士みたいなやつが5人くらいいてくれると、何とかなりそうなんだけどね(笑)。
萩原パラリンピックは、なぜか指導者はボランティアじゃなきゃいけないような概念が少なからず残っています。指導料をもらってると白い目で見られることも聞いたことがあります。もっとプロ意識持ってやったほうが、選手も指導者も成長できていいと思います。
臼井うちもね、来年に向けて、若い技術員を、義足も作ってなおかつスポーツにも関わるような組織作りを始めたところなんです。
萩原様々な人々が障害者スポーツを実感できる場所作り、ものすごく大切ですよね。
臼井そうですよ。義足の人にとっては、走るだけですごいイベントなんです。自分が一生できないだろうと思った動作をもう一回復元して、失っていた自信を取り戻す。その価値は大きいです。ヘルスエンジェルスには、精神的にまだ不安定な人も来ています。義足をつけた自分をうまく受容できていなくて、現実から逃げたい、でもヘルスエンジェルスと関わることで、自分をどこか違う方向に持っていきたいと願っている。
萩原ほとんどの方が、その精神状態からスタートしていくんですよね?
臼井自分であそこへ行くっていうことは、自分の弱いところを人に見せなくてはいけないということです。なぜなら、そこに行けば他人との人間関係が生まれちゃうから。だから、あそこに来るのは、勇気を持っている人ですよ。勇気がない人は来ない。そして、来ない人はまだまだたくさんいるんです、この世の中に。
萩原弱さを認めて強くなるんですね。私もよく言われました。パラリンピアンの選手と出会って、スポーツに対する考え方が大きく変わりました。臼井さん、今日は素敵なお話、ありがとうございました。
<了>
写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo
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