スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

TOMOHIRO NOGUCHI × TOMOKO HAGIWARA

諦めなければ必ず前に進んでいける

萩原木村選手に対して、野口先生はどういう風にして言葉を伝えてこられたのですか?私自身、障害があるなしに関わらず、アスリートに伝える、教えるというのは、すごく難しいなと実感しています。

野口例えば子供たちに水泳を教えるとする。蹴伸びで一直線になって、できるだけ遠くまで進んでみよう、ってことを伝えるとしますよね。その子供が、小学生か、中学生かで、表現の仕方は違います。同じ小学生でも、都市部の小学生と田舎の小学生では、これまた言葉の捉え方が異なってくる。10人に語りかけて3人に理解してもらえれば、それは成功と言っていいレベルです。でもじゃあ、残り7人にはどう表現すれば伝わるか、でしょう。

萩原そこが本当に難しいんです。

野口クロールの息継ぎを教える、これはすごくタスクの多い作業です。実は、ここの部分では健常者に教えても、同じところで引っかかるんですね。例えばクロールの手はこうやって掻きましょう、って教える。この動きはこう、ここはこう、専門書にはそういうことがたくさん書かれているから、説明は上手にできますよね。でも、この動きを相手の肉体に味わわせるってことは別問題。なぜかというと、そこから先は相手の中の見えない部分、相手の感覚、感触の話になるからです。そこで行き詰まるのは、健常者も、障害者も、同じなんです。

萩原とはいえ、野口先生は木村選手には手取り足取り教えていらっしゃったんじゃないですか?

野口いえいえ、そんな面倒臭いことしませんよ、笑。木村君が小、中学校時代に通っていたスイミングスクールの先生たちは、間違いなく手取り足取りで教えていたと思います。

萩原では、どんな風にご指導なさったんですか?

野口彼の泳ぎの最も大きな問題点は「身体の軸」が取れないということなんです。全盲である以上、これはもう当たり前に仕方のないことなんですね。中心軸を持って身体を回すという動きは、彼にとってとても難しいんです。

萩原確かにそうですよね。なるほど、そこで、出力を上げる、筋力をあげる、という方向へトレーニングが進んでいったわけですね。

野口そうです。ですから、解決するにはあまりにも難解な問題は一度脇にどけておいて、本人にとって手取り早く「トレーニングしているんだ」という実感が湧くことに重点を置きました。実際、その方がやったことが直接結果に返ってもきますしね。まずそこからスタートしたのが良かったと思います。

萩原先生のそういう考え方、トレーニングへのアプローチは、大学や大学院という環境の中で学ばれたのですか?それとも子供の頃から、色々考えを巡らせたり、工夫されたりするタイプだったのですか?

野口子供の頃って、水泳を始める前までは、結構色々やっていたんですよ。

萩原習字などもやられていたのですよね。

野口そうなんです。ほんとうに色々やってました。中でも大好きだったのが電子工作でした。電子工作って、ラジオを作ったりするんです。基盤があって、そこに部品を半田付けしていくんですが、当たり前のように部品が足りなかったりする。それをどうやって補うのか、なんてことを考えるのが好きな子供ではありましたね。

萩原先生のお話を伺っていると、スポーツとは縁遠いお子さんだったような印象を受けます。

野口いや、そうでもなかったですよ。剣道にも通っていましたし。今振り返ってみると、道場に入ったときに一礼したり、練習が始まる前はちゃんと正座をする、そういう作法をしっかりと教わることができたのは貴重でした。僕は未だにプールに入る前と出るときは一礼するのですが、そういう習慣はきっとあの頃に身についたんでしょう。練習相手の竹刀が防具以外のところに当たるのが痛くて痛くて、結局それが嫌で剣道は続きませんでしたけど、笑。

萩原その点水泳は痛くないですものね、笑。自分の身の安全も守れますし。そういう習い事はご自分から自発的に始められたのですか?

野口いえ、全て両親の勧めです。「指先が器用な方がいいから」とピアノをやらされたり。

萩原影響力のあるご両親だったのですね?

野口母からは強く影響されていますね。興味のあることは片っ端からやっていく、嫌いなものには手を出さない、そういう面は彼女から受け継いでいるような気がします。とりあえずこれは面白そうだからやってみよう、悩んでいる暇があったらまずやってみよう、そんなことを知らぬ間に教わっていたんじゃないでしょうか。

萩原水泳だけではないですが、アスリートとしても人間としても、必ず壁にぶつかる場面ってあるじゃないですか。そういうとき、先生はどのようにしてその壁を乗り越えられてこられたのですか?

野口一口には言えないですが、例えば木村君を教えていて、これは行き詰ったなあ、といった瞬間はたくさんあります。「面倒臭いなあ」とは思うけれど、なんとかしてその問題を解決する。そんな作業を一つ一つやり遂げていけば、一年前の自分と今の自分は明らかに変化し、より鍛えられているんです。もちろん「両親が亡くなった」とかそういう類の壁と、スポーツで目の前に現れる壁とは違いますけどね。ことスポーツに関して話すならば「スポーツで起こること」というのは、その人を鍛えるために起こるもので「諦めなければ必ず前に進んでいける」ということだと捉えています。もちろんその最中は大変ですが、数年経って振り返ってみると「今の自分ならあの時こういう選択ができていたな」と思えます。

萩原木村選手との出会いで野口先生ご自身も、ワンランク、ツーランク上のステージへと進めたんですね。

野口その通りです。10年前に遡って、当時の選手たちをもう一度指導しろと言われたら、間違いなく彼らを、当時より数段速くしてあげられると思います。笑

<次のページへ続く>



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